学校・チーム

【立教池袋】限られた練習環境から目指す「惜しいチーム」からの脱却(前篇)

2017.9.26

池袋駅から徒歩10分程度の校舎と隣接している立教池袋のグラウンド

今年18年ぶりに東京六大学で優勝を果たし、その勢いで全日本大学野球選手権も59年ぶりに制した立教大学。系列校である立教池袋高校は立教中学(現立教池袋中学)に併設する形で2000年に開校した。古賀賢之監督も元々は中学校の教員として野球を教えており、高校野球の指導者になるなどとは夢にも思っていなかったという。

「高校ができるときに校長先生から古賀先生が無理なら硬式野球部は創らないけどどうする?と聞かれました。それまで高校野球を教えるとは思っていませんでしたが、中学まで野球をしていた生徒が高校でもやりたいとなった時に野球部がないのはかわいそうだと思いまして。それでやりますと言って引き受けました」
ちなみに、現在社会人野球の日立製作所でプレーする斎藤隼投手は中学、高校とも立教池袋の出身である。

立教池袋高校野球部を率いる古賀賢之監督

創部一年目のチームは部員12人。そのうち中学で野球をしていた選手は8人いたがレギュラーだったのはわずかに3人。他の選手は元バレーボール部2人、元水泳部1人、元ボーイスカウト部1人という状況だった。

古賀監督は一年目の夏は公式戦出場の参加を見送ろうとも考えていたが、周囲の後押しもあり出場。初戦で1-15と大敗を喫するがその経験を糧にして翌年の夏には四回戦に進出する。

今年の夏はノーシードながら2回戦では好投手の佐山智務を擁する文京に7対4で勝利。続く3回戦では優勝候補の筆頭と見られていた帝京を相手に7回までは2対2の接戦を演じて見せた(最終的には5対2で敗戦)。130km/h台後半のスピードを誇る小幡圭輔投手の力投も大きかったが、鍛えられた守備ときっちり得点圏に走者を進める堅実な攻撃が目立つ戦いぶりは強く印象に残った。

そんな立教池袋のグラウンドは都内でも有数のターミナル駅である池袋駅から徒歩10分程度の校舎と隣接している。都心ということもあってその広さは十分なものではなく、サッカー部、陸上部との共用であるため使える面積は通常の野球場の半分程度である。しかもそのグラウンドは中学校も共用しているため、普段使用できるのは中学の野球部の練習が終わる17時以降と時間も限られている。しかしそんな環境も古賀監督はハンデだとは考えていないという。

他の部活とも共用されている立教池袋のグラウンド

「校舎やグラウンドの改修工事の時はもっと狭いスペースしか使えないこともあったので、こういう環境には慣れていますね。テニスコートくらいのスペースでも試合で通用するプレーの練習は可能だと思います。攻撃ならティーバッティング、バントができますし、守備も投内連携ができる。転がるボールを捕る練習は少しでもスペースがあればできますから。グラウンドが半分使えればライトの後方に外野手を集めて外野と内野の連携もできますよ」

取材当日は中学の野球部が試合で不在のため、早い時間からグラウンドが使える貴重な日ということもあって、アップとキャッチボールが終わると、外野手と内野手の連携を確認するノックなど、普段行うことができない練習が行われた。

その後に行われたのは投手も含めた内野手のケースノック。古賀監督は「まだまだ見てもらうのが恥ずかしい状況」と話すが、その練習からは、どの季節でもその日の状況に合わせて最善と考えられるメニューをこなし、捕球、送球の基礎的な能力を常に向上させるように心がけていることがよくうかがえた。堅実な野球の原点はここにあることは間違いないだろう。(取材・撮影:西尾典文)

後編へ続く

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