企画

連載野球小説 『天才の証明』 #30

2016.9.9


〜第30回〜

 クラブLの入るビルに面した歩道に黒塗りのセダンが止まっていた。黒服の男は後部座席のドアを開け、川村を誘導した。川村が後部座席に乗り込むと黒服の男は右の運転手席に座った。

「おいおい。さっきの姉ちゃんはどうした」

 川村が不機嫌そうな声で言った。

「ロッカーに私物を取りに行っているようなので、少々お待ち下さい」

 黒服の男がやんわりと答えた。

「川村様が四年前にお書きになった『BOS(ベースボール・オペレーティング・システム)の衝撃』、二十万部のベストセラーだそうですね」

 沈黙を嫌ったのか、黒服の男が後部座席に座る川村に向かって話しかけた。

「私も拝読いたしました。選手を工業製品のように扱うというコンセプトは球界では賛否ありますが、あの本が出てからBOSが東京セインツや福岡シーホークス、千葉ドルフィンズにも採用されたそうですね」

 黒服の男はちらりとバックミラーに目をやると、後ろを振り向かず淡々と話し続けた。

「もちろんBOS懐疑派の球団もあって、すべての球団がBOSを導入するには至っていないようですがね」

 野球談議が好きな性質なのか、黒服の男は口元に笑みを浮かべながら川村に向かって話し続けている。

「IT音痴の大阪ブロンコスは相変わらず大枚はたいてメジャーリーガーを呼び戻したり、旬を過ぎたFA選手を買い漁る大盤振る舞い経営ですし。広島レッドスキンズは低予算ながらも伝統の根性論で頑張っていますし」

 川村はスモークガラス仕様の窓から、クラブLのある雑居ビルの方向を眺めている。

「それにしても……」

 黒服の男は、川村が何の返答もしないことに気にも留めずにただただ一人で喋り続けた。

「ライバル球団も同じことをすると他球団に先駆けてBOSを導入したガンナーズの優位性は薄れるはずなのに、よく取材許可が下りましたね」

 後部座席にふんぞり返ったように座る川村は無言のままだった。

「BOSがどのように運営されているかという舞台裏はガンナーズにとって最高機密にも等しい情報です。他球団に真似されるというリスクを考えると、その機密情報を世間に知らしめるメリットはほとんどない。ですが、あなただけはBOSに関する取材を許され、なおかつ著書までお出しになっている。では、なぜガンナーズ球団は一介のスポーツ記者をかくも特別扱いするのか」

 黒服の男が後ろを振り返り、川村の目を凝視した。

「立花副社長を強請っていますね?」

 川村はイエスともノーとも答えなかった。腕を組み、片頬に薄笑いを浮かべている。

「その沈黙はイエスと受け取りますよ」

 黒服の男がそう言った。

「過去にスキャンダルを起こした選手も、チーム構成上必要があれば躊躇せず獲得するとガンナーズの球団広報は公言していますが、あれは裏を返せば各選手のスキャンダル情報も個別に格納されているとも解釈できます」

 川村は相変わらず口元を歪めたまま黙り込んでいる。

「美人局や投資詐欺に引っ掛かったなどの金銭トラブル歴の有無。監督と揉めたり、造反したりといった扱いづらいタイプか否か。女にだらしないかどうか。闇の紳士との交友関係。それにドーピング疑惑。そんな情報がBOSのシステム上に余さず記録されているとしたら、それはある種の人間からしたら宝の山に見えるでしょうね」

「よお、兄ちゃん。あんた何者だよ」

 川村の発した言葉を黒服の男は黙殺した。

(著者:神原月人)


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