学校・チーム

遠回りになっても、選手が自分で考えることが必要|杜若・田中祐貴監督

2023.5.26

かつては夏の愛知大会で準決勝に進出し、6人ものプロ選手を輩出しながら近年は低迷が続いている杜若。復活の切り札としてプロでは『ユウキ』の登録名で活躍した田中祐貴監督が昨年4月に就任すると、この4月には30人の1年生が入部するなどその期待は高まっている。そんな田中監督の指導方針を前回に続いて更に深く掘り下げた。


大きかった、高校時代のトレーニング経験

前編ではこれまでにはなかった厳しさを求めながら、最終的には選手の主体性を重視したチームを目指しているという話を紹介した。
その背景にあるものは、田中監督自身の高校時代の経験だという。
「僕が高校2年生の夏に奇跡的に愛知大会のベスト4まで行ったんですね。これは謙遜ではなくて、それまでの地区大会ではコールド負けとかもしていた力のないチームで、本当に軌跡だったと思います。そんなこともあったせいか、2年秋の新チームになった時に、当時の監督から『ピッチャーの練習についてはお前に任せる』って言われたんですね。
それからはトレーニングやブルペンでどれだけ投げるかなども自分で考えてやらないといけなくなりました。でもそのことが自分にとっては意気に感じられて、やってやろうという前向きな気持ちになれたんですね。それは自分にとって大きかったと思います」

それが1996年の秋のことである。ただインターネットが発達して、情報も溢れている現在とは違い、当時はトレーニングや練習方法などを調べることも簡単ではない。そんな中で高校2年生だった“田中祐貴投手”はどのようにこの機会を生かしていったのだろうか。
「2年の夏の準決勝で愛知高校に負けたんですけど、当時の相手のエースも同じ2年生の関屋(智義・元横浜、ダイエー)で、かなりの力の差を感じました。関屋は1年生の時から有名でしたからね。このままじゃだめだと思っていたところ、関屋が岡崎にあるジムに通ってトレーニングをしているという話を聞きました。どんなことをしているのか知りたいと思って行ってみたら、色んな高校の選手が来ていて、自分の知らないトレーニングに取り組んでいる。それを見て2年の秋からは監督にお願いして通わせてもらって、そこで得た知識をチームメイトの投手陣にも伝えるようにしました。
いつも大体20時くらいに他の選手よりも早めに学校を出て豊田から岡崎に通って、21時から1時間半くらいトレーニングして帰るという生活でしたね。あの経験があって、2年の冬から3年にかけて大きく成長できたのだと思います。
監督からも当時は新しかったインナーマッスルを鍛えることなどは教えてもらいましたけど、フォームとかは何も言われたことはありません。そういう意味でも今っぽいやり方だったと思います」

今では高校生でも外部のトレーニング施設に通うのは珍しくないが、25年以上前にはかなり画期的なことだったはずだ。トレーニングの知識などはもちろんだが、他のレベルの高い選手と触れたことで、視点が上がったことは間違いないだろう。


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