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【高校球児のための大学野球部ガイド】和歌山大学を紹介!

2020.1.30

高校球児のための大学野球紹介も9校目!今回は国立大学ながら17年の秋に明治神宮大会でベスト8まで駆け上がり旋風を巻き起こした、和歌山大学硬式野球部を紹介!チームを率いる大原弘監督にお話を聞きました。


「考える野球」で大きく飛躍

和歌山大硬式野球部の名が全国に知れ渡ったのは17年の秋。明治神宮大会でベスト8まで駆け上がったシーズンだ。国立大で、決して有望な選手が集まる訳ではなく、練習環境や練習時間を十分に確保できない中、チームを土台から作り上げたのが大原弘監督だ。
「あの時は、全員が初めての神宮球場で“楽しいところに来たな”という感覚の中で試合をやっていましたね。初戦では岡山商科大の近藤くん(現東北楽天)ら150キロを超える投手がいましたが、ウチでの準備や分析への意識が強烈に定着していたと感じました」。

大原監督は、15年から「考える野球」を掲げてきた。
「一般的にパワーとパワーのぶつかり合いの野球をするチームが多い中、考えてやる野球のスタイルが当時の関西にはあまりなかったんです。実力のあるチームはパワーでぶつかれるが、国立大学の野球はそうはいかない。特に近学連(近畿学生学生野球連盟)は国立大学が多いので、考えてプレーできるチーム作りをしたかったんです」。

綿密なデータ解析や、その時々に起こりうる事象を頭に入れながら、ひとつひとつのプレーを普段の練習からしっかり確認し、試合に生かす。高校野球では、いわゆる“パワー野球”をやって来た選手が実際はほとんどだが、考えながらやる野球は実に奥が深く「こういう野球をやりたかった、という選手が実は多い」と大原監督は言う。「ウチがやっている野球は高校野球を経た子なら、出来ない子はいないです。実際にパワーヒッターを揃えるよりも、2打数1安打1犠打の子が並んでいる方が試合では勝てる確率は高いんですよ」。



大原監督は和歌山の古豪・桐蔭高出身。京産大に進学後も在学中に練習の手伝いに出向くなど、常に地元に密着しながら野球に携わってきた。一般企業や塾の講師をする傍らで、母校では選手らの目線になって指導を重ねてきた。昨年急逝した竹中雅彦氏(日本高野連前事務局長)は桐蔭高校の恩師で「数あるスポーツがある中で野球を選んでくれた子どもたちを、指導者はもっと大切にしてあげてほしい」という竹中氏の言葉は遺言として常に胸に刻みながらグラウンドに立っている。
「今、行き過ぎたやり方で処分を受けている指導者のニュースを目にしますが、そういった指導者は引き出しがないところもあると思います。ウチではユニホーム、練習着を着てグラウンドにいる以上は全員がやる気があると思っています。ただ“野球をやりたい”という動機には強弱があります。動機が沈んだ子にどうアプローチできるかが指導者の腕だと思いますね」。

今では80人近くの部員を抱える大所帯となったが、かつては4学年で40人ほどの時期もあった。それでも指揮官は選手の表情をしっかりと見届けて、グラウンドでは必ず声を掛ける。時には冗談も交えて笑いを取り、選手たちの心をほぐすようにしていた。


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