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【敦賀気比】木下元秀|ドラフト指名を待つ、北信越を代表する左の強打者(後編)

2019.10.17

昨夏はエースとして、今夏は打力をいかして4番の外野手として甲子園に出場した木下元秀(敦賀気比)。大舞台でも12打数7安打6打点と「北信越を代表する左の強打者」の実力を発揮した。いよいよ迎えるドラフト会議、木下は静かに指名を待つ。


木下に転機が訪れたのは入学して約半年後。秋の公式戦が終わり、11月に行われた1年生大会でホームランを打つと、以降の遠征に帯同するようになった。「本当にここに来て良かったのかと思うこともありましたが、野球ができるってこんなに楽しいものなのかと思いましたよ」と試合に出られる喜びを噛みしめた。

冬が明け、2年の春にもらった背番号は1番だった。「(1番を)もらえると思っていなかったのでビックリしました。やったー! というより、自分でいいのかな? って反対に恐縮してしまいました」。2年春の背番号1といえば、15年センバツ優勝投手となった憧れの平沼のことがどうしても頭に浮かぶ。2年夏にはその1番をつけ念願の甲子園のマウンドに立ったが、初戦で木更津総合打線に打ち込まれた(5回1/3を投げ6失点)。なす術なく終えた初の大舞台以降、試練の日々が続いた。
「中1の時、気比のユニホーム姿で投げている平沼さんを、見ている方からしたら憧れの舞台で投げている、という印象しかなかったけれど、実際に自分が甲子園で投げたら、あんなに打たれてしまって…。ピッチャーとして野球の怖さを知りました。でも、こうやって甲子園を経験できたし来年のセンバツも行けるだろうという気持ちの緩みがあって、秋は県内では負けないと思っていたら3回戦で負けてしまって。そこで初めて気づいたんです。本気にならないと夏の甲子園には行けないって。ただ、自分だけがそう思ってもしょうがないので、その思いをみんなに伝えて、みんなで共有していきました」。

前を見つめ直してリスタートするはずが、夏以降から違和感があった左ひじが限界に達していた。投げれば投げるほど痛みがひどくなり、11月頃に東監督に投げられない旨の意思を伝えた。「冬になれば試合がないし無理をして投げる機会はないけれど、バットは振れる状態だったのでヒジの治療をしながらバッティング練習はやっていました。でも走るメニューは続けていました」。

春先にはキャッチボールを再開し、春の北信越大会ではマウンドに立つまでに回復したが、1年後輩の笠島尚樹の台頭などもあり、以降はマウンドに立つことはなかった。元々はバッティングが好きだったため、夏前から「バッターとしてもっと成長したいと思ったので」とバッター1本で勝負することを決意。春の北信越大会では決勝戦で星稜の奥川恭伸から適時三塁打を放った。「あの一打は一生の自慢になりますが、それ以外の打席は全部三振だったので(笑)。150キロのストレートにあのスライダーは打てませんよ」と笑うが、今夏の甲子園では3試合で12打数7安打、,583の高打率を残すなど、4番らしい役目はきっちりと果たした。


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