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【アメリカ視点で見る高校野球】走塁と犠打へのアプローチの違い

2015.8.17
 プレイボール直後に先頭打者がヒットで出塁すると、すかざず次の打者が送りバントで走者を進塁させ、チャンスを広げる。こういった場面を今大会も目にすることがあるのだが、試合の序盤、相手投手の立ち上がりを打ち崩せるチャンスでアウトを1つ与えるのはとても違和感がある。

 これは負ければ終わりのトーナメントであることから1点の重みが他の戦いに比べ大きいのかもしれないが、27のアウトを取るか取られるかの戦いで簡単にアウトを1つ与えてしまう戦術は日米で大きな違いがあるように感じる。

 今大会は健大高崎のように機動力を武器にしたチームも存在したが、盗塁に対しての認識も日米でまだ違いがあるように感じる。自らの足の速さで相手の肩の強さを試す、いわば自分の特長を競い合う戦いがアメリカでの考え方だ。もちろんこれは監督の方針や組み立てる戦術の部分によるところもあるが、小さい頃からエンターテーメントとしての野球、そしてショービジネスとしての野球を目の当たりにしていることから植えつけられている部分があるのではないかと思う。

 アメリカではどんなに実力差があっても相手を侮辱する行為などはタブーとされていて、常にフェアプレー精神が問われる。点差が大きく開いた試合であれば、必要のない盗塁や犠打はしてこない。むしろ試合終盤に二桁得点でリードしているのに、勝っているチームが盗塁を決めたりすると、侮辱行為と見なされて報復をされることもあるだろう。

 しかし、今大会二桁得点リードをしていても、試合終盤に10点リードを11点にするための盗塁や犠打を決めてくる場面は目にする。思うに、これは相手へのリスペクトが足りないのではなく、どんなに点差が開いても追いつかれるのではないかという相手へのリスペクトがあるように見受けられる。相手との実力差を全国の野球ファンに示すためというよりは、何が起こるか分からない甲子園に宿る魔物が逃げるようにリードを少しでも広げていく、そんな必死な戦いの結果からくるのではないだろうか。リスペクトや相手へ示す経緯の表れも日米間での文化の違いに感じる。

 今大会でも関東第一と高岡商の試合では、3回裏に一挙7点を取った関東第一がリードを8点差に広げるも、4回表に逆に一挙7点を奪われ、リードがすぐさま僅差になった試合もあった。何が起こるか分からない甲子園ではセーフティーリードはないのかもしれない。

 最後のワンアウトまで必死にプレーをする、それがファーストへのヘッドスライディングという形で選手の気持ちが全面に表れてしまうのだと思う。だが、プロの世界でファーストへのヘッドスライディングで怪我を負ってしまった選手も少なくなく、監督からはあまり好意的には見られていないプレーの1つだ。高校野球でのハイライト映像などでは必ずと言って良いほど、シーンの1つとして使われ「美化」されてしまっている部分はあると思う。高校生活の全てを費やした高校野球が終わりを告げるかもしれない場面、最後の力を振り絞り自然と出るプレーではあると思うが、最後まで怪我のリスクを避け、正々堂々と最後は走り抜ける姿を見たいと思ってしまう。

 ついに甲子園大会はベスト4が出揃い、全国の頂点に向けた戦いも残すところ僅かだ。最後の戦いの、今年はどんなプレーで大会を締めくくるのか注目していきたい。


<著者プロフィール>
新川 諒(しんかわ りょう)
幼少時代を米国西海岸で10年過ごし、日本の中高を経て、大学から単身で渡米。オハイオ州クリーブランド付近にあるBaldwin-Wallace Universityでスポーツマネージメントを専攻。大学在学中からメジャーリーグ球団でのインターンを経験し、その後日本人選手通訳も担当。4球団で合計7年間、メジャーリーグの世界に身を置く。2015年は拠点を日本に移し、フリーランスで翻訳家、フリーライターとして活動中。


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