企画

【特別進路相談室】パイセンに聞く!野球留学のすべて「アメリカで野球をするということ」

2019.2.4

いつかは考えなくてはいけない高校野球の“あと”のこと。いろいろな道があるなかから今回は、『留学』という形で野球を続けたパイセン(=先輩の意味)たちが集まってくれた。海の向こうで野球を続けるってどういうことか、学んでみよう!


第1回 アメリカで野球をするということ

全てが日本とは違う学びまくった四年間


佐藤新平パイセン「日本とは180度変わったことをするイメージ。びっくりしました」
神奈川県・光明相模原高でプレーしたのちに、野球留学。アメリカでは、2年連続で開幕投手を任されるなど活躍。卒業・帰国後は、留学で培った英語力を活かして企業のグローバル部門で働き始めている

——いろいろな選択肢があるなかで、留学を選んだ理由は?
佐藤 僕は、中学生のときからアメリカに行きたいという夢を持っていました。両親には、「日本の高校で、日本の高校野球をやってからにしなさい」と言われたんで、卒業後の進路に選びました。

本間 僕は日米野球をみたときに、すごいなって思って興味を持っていました。イチローさんがちょうどMLBに入った時期だったんで、あっちの野球をよく見ていたんです。将来的には指導者にもなりたかったので、大学に行って教員免許を取ろうかとも考えていたんですけど、アメリカにも行きたいっていう思いもあって、留学することにしました。

牧田 自分は普通に受験して進学するつもりだったんですけど、たまたま自分の試合を見ていてくれたアスリートブランドの方が、声をかけてくださって。高校野球が終わって、もう一回スタートを切り直すためにも、留学はいいキッカケかなと思って決断しました。


牧田恭平パイセン「立場の示し方が全然別。上下関係の作り方が違うんです」
都立城東高出身。高校時代は中心選手としてプレーし、海外留学。肩の故障などに見舞われながら、アメリカでも主力として活躍。卒業後は日本の某大手上場企業で働きながら、クラブチームにも所属し、野球も続けている。

——ズバリ、苦労した部分も多かったのでは?
本間 僕は、英語が得意ではなかったので、学校生活で先生が何て質問しているかわからなくて(苦笑)。いろいろな勉強法を試したんですが、なかなか進歩しなくて大変でした。質問に答えても別の返しが来たらどうしよう……みたいな毎日でした。

佐藤 僕は文化の違いに驚かされましたね。野球どうこうじゃなくて、例えば友達の誘いを断ることに、日本ほどネガティブなイメージを持って育ってきてないんです。だから、日本人だと嫌な感じに見えそうなときでも、自分の気分じゃないときは平気で断ったりする。小さなことですけど、衝撃でしたね。

牧田 自分は野球についてですけど、評価のポイントが日本とは全然違うんです。僕たちが今までやってきた“うまい”選手と、アメリカでのうまい選手の概念が全然違う。だから、なんであの選手が使われているんだろうと思うことも多かったですし、最初は不満でした(笑)。


——全てにおいて、日本で慣れ親しんだものとは違ったんですね。
佐藤 そうですね。これは僕たちが行ったアメリカに限らないことだと思いますけど、価値観含めて、違うんだと思います。僕らがいいと思ってやった行動も、あっちの人たちからしたら、なんでそういうことやるの? って思われることが、野球に限らずたくさんありました。ここまで違うかって、衝撃を受けましたし、勉強になりましたね。


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