企画

連載野球小説 『天才の証明』 #31

2016.9.14


〜第31回〜

「そう、あなたみたいな強請り屋にとってみればBOSはまさに宝の山だ。そんな情報にアクセスできれば、現役選手も引退した選手も強請り放題ですからね。あるいは、そういう個人情報を裏のマーケットで高値で売り飛ばしてもいいでしょう」

 川村が身を運転席に乗り出し、黒服の男を威嚇するような低い声で言った。

「それ以上憶測で喋るなよ。名誉棄損で訴えるぞ」

 車内に携帯電話の電子音が流れた。黒服の男が携帯電話を耳にあてた。電話してきた相手と二言、三言会話を交わす。

「……ああ、そう。分かった」

 黒服の男は通話を終えると携帯電話を折りたたみ助手席の上に放った。黒服の男は後部座席を見ずに告げた。

「立花副社長が真相を喋りました。あなたは副社長の不倫現場を押さえて、それをネタに五年前から強請っていたそうですね。その女性もあなたが仕込んだのでしょう」

 後部座席から高笑いが聞こえた。川村は笑いに交じって嘲りの言葉を吐いた。

「バカじゃねえの、なんでペラペラ喋るんだよあの野郎。今まであれほどスキャンダルになるのを恐れて、ひた隠しにしてたのによお。ま、表沙汰になったっていいってんなら、俺はぜんぜん構わねえけどな」

 不愉快な笑い声を聞いているのに堪えかねたのか、黒服の男が冷たく言った。

「表沙汰になんてなりませんよ」

「あ?」

 川村が目を剥き、黒服の男を睨んだ。

「もうすぐあなたは警察に捕まりますから」

 川村が小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「容疑はなんだよ、恐喝か? あ? 証拠がねえよバカが」

「ええ、仰る通りに恐喝です」

 黒服の男はハンドルに手を置いたまま川村の顔を見ずに言う。

「火野周平を中傷する書き込みをしたのもあなたですね」

 黒服の男の断定的な物言いに、川村が笑みを浮かべた。

「それこそ証拠がねえじゃねえか。警察は捜査すらしてねえだろう」

「証拠ならありますよ。火野周平が〈作られた子供〉だと、緋ノ宮学園の浅野監督の元に匿名の電話を掛けましたね。その声紋があなたのものと一致したそうです」

 川村が一瞬言葉を失った。川村は全体重を預けるようにして背もたれにもたれかかった。黒服の男が横目でバックミラーを見る。酒気を帯びて紅潮していた川村の顔が心なしか血の気を失っているようだった。

「捕まるのも時間の問題でしょう」

 黒服の男が畳みかけるようにそう言った。川村が握った拳で窓ガラスを叩いた。

「ふざけんな! 声紋が一致なんてするわけねえだろ。適当こくんじゃねえよ」

 車内に川村の怒声が響く。

「それが、ばっちり解析されていたみたいなんですよ」

 黒服の男が押し殺したような笑い声を上げた。

「声を変えていたんだ。声紋なんか残るはずがねえ」

「へえ、声を変えていたんですか」

 激昂した川村の漏らした一言に、黒服の男が耳聡く反応した。

「良い証言をありがとうございます。きっちり録音させて頂きました」

 黒服の男が胸ポケットから小型のボイスレコーダーを取りだし、川村の目の前で振って見せた。

「てめえ、ふざけんじゃねえ!」

 後部座席から身を乗り出した川村が黒服の男の肩を掴む。

ボイスレコーダーが左手から転げ落ちた。

「殺す!」

 川村が黒服の男の首を絞めようと半身で飛びかかろうとするが、男は自由の利く右手でクラクションを鳴らした。耳をつんざくような音が響き、一瞬川村が怯んだ。
車の外で窓ガラスをノックする小さな音がした。川村が音のする方を向いた。

 警察手帳をスモークガラス越しに見せながら、一人の警官が車内を覗きこんでいる。窓ガラスの向こうからこちらの様子は窺い知れないだろうが、川村への牽制効果は抜群であったようだ。

「お迎えが来たみたいですよ」

 黒服の男が運転席に屈みながら言った。落としたボイスレコーダーを拾う。川村は観念したのか、脱力したように座席からずり落ちるような格好になった。

「一つだけ聞きたい。お前、何者だ?」

 川村が黒服の男に問うた。

「俺の顔、見覚えありませんか?」

 黒服の男が川村に聞き返すが、川村は首を横に振った。男は溜め息をついた。

「ま、俺の知名度なんてそんなもんですよね」

 黒服の男は自嘲気味に言った。

「これでも学生時代は、ガンナーズの世良とバッテリー組んでたんですけどね」

(著者:神原月人)


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