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仙台育英と須江航|104度目の正直 甲子園優勝旗はいかにして白河の関を越えたか

2023.9.29
こうした「敗者復活戦」的な取り組みを、須江は以前から日本一を目指すために東北勢の甲子園初優勝という観点でも行っていた。過去、東北勢が決勝で敗れた試合の映像を手に入る限り入手して、自分なりに分析していたのである。その結果、見えてきたのは、いくつかの敗因だった。
「まず、クジ運が悪い。そして決勝の相手も悪い。たとえば大阪桐蔭、日大三、東海大相模と、多くは相手が強すぎる。ただ、対策はあるんです。強すぎる相手に万に一度、勝つための最低条件は、自分たちに疲労がなくフレッシュであること。そこから大一番でフレッシュな状態のピッチャーを何枚揃えられるかが指導の大前提になりました」

 須江は、継投を好む新時代の監督として取り上げられることが多い。それは完全な間違いではないが、データの話と同様、継投が好きというよりも、日本一になるための方法として継投を選んでいるのである。

 それは夏の甲子園の決勝戦、下関国際(山口)との試合に如実に表れていた。仙台育英の先発は左腕の斎藤蓉。秋のエースであり、須江が高い期待をかけていた投手である。しかし、故障の影響で宮城大会の登板はなし。戦列に復帰した甲子園でも、序盤は短いイニングのリリーフでマウンドに慣らし、準々決勝で夏は初めてとなる先発登板。5回を投げきった。そして準決勝は登板を回避。決勝は満を持しての先発だった。
「継投が目的ではないんです。状況次第では完投も全く問題ない。実際、決勝戦は最初から斎藤蓉の完投でいいと思っていました。継投する気なんてさらさらない。本人にも言っています。行けるところまで行くぞ、と。もちろん崩れるケースも想定していましたし、実際は100球くらいでへばってくる可能性はあると読んでいたので継投の準備はしていました。それでも本人には、あくまでも代えないよと言い続けていたんです」

 結果的に仙台育英は、斎藤蓉を7回でマウンドから降ろし、2年生右腕・高橋煌稀につないで勝利をつかんだ。

 次に見えた敗因は「明確なゲームプランの不在」であった。
「僕たちが高校時代に経験した準優勝がまさにそうなのです。何対何で勝つのか、何点取るべきなのか、そういう明確なゲームプランが僕たちにはなかった」

 たとえば「当たって砕けろ」「自分たちの野球を精一杯やる」といった姿勢は潔く清々しい。だが、見方を変えれば本気で勝とうとしていない、とも言える。それは八戸学院光星の監督、仲井も似たようなことを話していた。第四章で記した仲井のコメントを再掲する。
「東北勢が何度も決勝で敗れ続けたのもそうなのかもしれませんが、『優勝する』という気持ちが、本気のようで本気ではなかったのかな、と思うことがあります。自分たちとしては本気だったんだけど、相手はもっと本気だったというか」

 この話を聞いた際、「では本気とは何か?」と考えさせられたが、須江が話す「明確なゲームプラン」とは一つの答えなのかもしれない。そして、明確なゲームプランの不在は、須江が東北勢の決勝敗退において、最も影響が大きいと見えた敗因につながるという。それは「自滅」である。
「四死球もあれば、守備での無理な送球、暴走、相手を大きく見過ぎた故に痛打を浴びる……など自滅のケースはいろいろ。決勝敗退チームの多くは、何かしら自滅の要素があるように感じました。
それで、とにかく『自滅の回避』に力を注いだんです」
 明確なゲームプランがあれば、「この1点は取られてもいい」「ここはヒットくらい打たれてもい
い」と余裕が生まれ、しなくともよい自滅を防げる。

*続きは書籍でお楽しみください。

目次

はじめに 1989年8月21日
第一章 秋田 ~草の根の野球熱~ /第二章 宮城 ~竹田利秋の挑戦~
第三章 東北福祉大の台頭/第四章 青森 ~ミックス~
第五章 楽天イーグルスの誕生/第六章 福島 ~いわき型総合野球クラブ~
第七章 山形 ~強攻~/第八章 岩手 ~心を変える~
第九章 仙台育英と須江航
おわりに 2022年8月22日

田澤健一郎
KADOKAWA
本体1,700円+税
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