グローバル化が進むスポーツ界において、野球でも高校卒業後に、アメリカへ留学してプレーを続ける選手が増えている。ここでは、異国の地で大好きな野球を続けることを決意したパイセン(=先輩の意)をピックアップ!進路に悩む君たちへ貴重なアドバイスを送ってくれるぞ!
学校5年生の頃、自分自身がのめり込めるものはあるかなと思っていたとき、友だちに誘われて野球の練習を見に行きました。そこで“これなら夢中になれるかも”と思いました」。
自身でプレーするまで、野球をテレビで見たこともなかったという松丸パイセン。そんな彼が、今では留学をするまで野球にのめり込んでいった理由は何だったのか。
「少しずつ野球が楽しくなったのが大きいですね。あと高校2年の秋の大会で横浜高校に勝利し、自分たちもやれるんだと自信がついたこともよかったと思います」。
高校3年最後となった夏の県大会では、決勝で破れ目標の甲子園出場は叶わなかった。それでも「結果として甲子園には出られませんでしたが、高校最後の大会は、楽しんでやろうとみんなで話していたんです。その点は、やり遂げられたのでよかった」と、松丸パイセンは振り返る。
高校野球人生は全うしたという松丸パイセン。その直後にアメリカへの野球留学へ向けたセレクション参加を決断する。
「日本の大学へ進学して野球を続けるという気持ちもありました。でも、高校3年の春の大会のとき、野球留学の話を聞いたんです。進路についてはすごく迷いましたが、親から『セレクションだけでも受けてみたら』と背中を押され、チャレンジしました」。
アメリカの野球に触れ、自由な雰囲気で楽しくプレーしている選手たちが新鮮だったという松丸パイセン。“野球=厳しいもの”との感覚があり、のびのびと野球をやる環境に身をおいて野球をしてみたいという気持ちが強くなった。そして見事、セレクションに合格。そこから英語の勉強に励み、2019年の7月に渡米した。不慣れな生活環境で、一番戸惑ったのは、やはり言葉の壁だった。
「自分の思いを伝えられないことが一番大変でした。今では、慣れもあって、徐々に自分の意見を主張できるようになりましたが」。
野球留学2年目を迎えた昨年は、コロナ禍の影響で3月から9月初旬まで帰国を余儀なくされた。日本では母校のグランドを借りて練習に励んだが、実戦をできない歯がゆさがあったと話す。「実戦ができなかったのはつらかったですね。トスバッティングを数多くこなしても、実際にピッチャーが投げたボールを打つのとは、目の動きも、タイミングの取り方も大きく変わるので」。
今は、4年生への編入へ向け、野球、そして勉強でも結果を求められる時期だという松丸パイセン。バッティング、守備とまだ課題が残るため、克服するために努力を続けているという。そんな彼に、アメリカでの野球留学を決断して良かったか聞いてみた。
「日本にいたときより、自分から積極的に行動できるようになったのは、アメリカに来たことが影響していると思います。もし留学をせずに日本の大学へ進んでいたら、環境に甘えていたかなと。だから、行動力や決断力を身につけられただけでも、留学して本当によかったなという気持ちは強いです」。
自身の成長にもつながる野球留学。興味のある人は、松丸パイセンのように、一歩足を踏み出してみてはいかがだろうか。
今回のパイセン!
松丸航太郎(まつまる こうたろう)
神奈川県出身。鎌倉学園高校時代は、3年時に西神奈川県大会の決勝まで進んだチームの三番打者として活躍。甲子園出場は逃したが、高校時代に野球に対する考えが変わり、アメリカへの野球留学にも興味をもち、アスリートブランドを通じて留学中。以前このコーナーに登場した小島和也パイセンとは同級生だ。