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夢見る球児たち必見! “パイセン”による海外留学のススメ

2021.5.25

グローバル化が進むスポーツ界において、野球の分野でも高校卒業後に、アメリカへ留学してプレーを続ける選手が増えている。ここでは、異国の地で大好きな野球を続けることを決意したパイセン(=先輩の意)をピックアップ! 進路に悩む君たちへ貴重なアドバイスを送ってくれるぞ!


大学へ進んだら留学したい。菅沼駿一朗パイセンは、高校に入学したときからこの夢を抱いていた。その裏には、成績が伸びたことで好きになった英語の存在がある。

「中学で英語を習い始めたときは、得意という意識もなく成績もいいほうではなかったんです。でも、中学時代の野球部の顧問の先生が、テストの際に目標点数を定めたんです。戸惑う気持ちはありましたが、頑張って勉強した結果、目標点数を上回る結果が出たことで、英語が好きになっていきました」。

これは菅沼パイセンが野球にのめり込んだときと同じ状況だった。小学3年生の終わり頃、友達が所属していた少年野球チームに見学へ行き、面白そうだと思って始めた野球。それから約1年努力を続け、小学5年生で試合に出られるようになると、練習の成果が表れ始めた。

やってきたことが結果として表れたことで、面白さが深まり、もっとうまくなりたいと思うようになり、野球にハマっていった感じです」

と教えてくれた。高校時代は2年生からエースとして活躍した菅沼パイセン。そんな彼にアメリカでの野球留学への道を教えてくれたのが高校の監督だった。

「監督から野球留学という選択肢があることを教えてもらったことで、野球を続けながら好きな英語の勉強もできると思うようになったのは大きかったです。そして、本場と言われるアメリカの野球文化を学んでみたいという気持ちも強くなりました」。

野球留学へ向けたトライアウトへ参加したのは約2年前のこと。そこで菅沼パイセンは、すぐに文化の違いを目の当たりにする。

「とにかく球速のあるピッチャー多いことに驚かされました。アメリカでは、自分と同年代の選手の多くがウエイトトレーニングをきちんと取り入れていて、ストレートの質を磨くことを重視していたんです。それまで僕は、コントロールを重視する考え方だったので意識の違いを痛感しました」。

アメリカでの発見もあったが、日本でやってきたこともアメリカで生かせた。

配球に関しては、日本で学んだことが生かせるなという実感はあります。アメリカの場合、日本より大雑把な印象もあり、練られた配球をできることは自分の強みになっています」。

本来であれば、昨年の5月下旬に渡米する予定だったが、世界的に猛威を振るう新型コロナウイルス感染症拡大の影響で約2ヵ月延期に。

「状況が見えにくかっただけに、大丈夫かなという不安はありました」

と本音を漏らす。それでも昨年8月に無事渡米し、野球留学生活が始まった。

「施設の利用制限などはありますが、他の大学に比べて練習もできているので、不便さは感じません。コロナ前の状況を知らないということもあるのかもしれませんが(笑)」。

最後に、野球留学のパイセンとして進路に直面する高校球児たちに次のようなエールを送ってくれた。

アメリカに来ることで、視野も広がると思います。言葉をはじめ、不安もあるかもしれませんが、先のことは誰にもわからない。もし、興味があるならば一歩踏み出してみるのもいいと思います」。

今回のパイセン!

菅沼 駿一朗(すがぬま しゅんいちろう)

千葉県木更津市出身。木更津高校では2年生からエースとしてチームをけん引し、2018年の東千葉県予選では、全5試合に先発し54年ぶりのベスト8進出に貢献した。3年時は腰のケガで本来のピッチングができなかったが、アメリカで野球をするという夢を実現させるため、アスリートブランドを通じて留学中。


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