学校・チーム

【おかやま山陽】「野球をする以前に必要な人間力」

2019.8.26

9人に満たない部員数、雑草だらけのグラウンド、ヤンチャな生徒たち、未曾有の災害……さまざまな困難を乗り越え、いかにして甲子園への切符を摑んだのか?
「Timely!」編集の『どん底からの甲子園』(辰巳出版)から、おかやま山陽野球部の本書掲載内容の一部を紹介します。


「野球をする以前に必要な人間力」より

勝てなかった時期は、一部の選手による軽率な行動で、少しずつチームの和が乱れていた。やんちゃな子が多かったので、堤尚彦監督は選手への接し方や思いの伝え方を今までとは変えていった。「自分自身、若いときに『悪いことをするな』と人に言われてやめた記憶はないんですよ。だからそういう言い方をやめようと思って。自分がそう言われて直したことがないのに、おかしいだろうと思って。だから選手には、3つ悪いことをしたら4つ良いことをしようと言いました。良いことって何か当時の選手は知らない子が多いから、石を一個拾うだけでも良いことだと教えました。神様が足し算引き算して、プラスが多ければそれでいいんだよと」。

今でこそ立派な社会人となり、グラウンドや試合会場に足を運び母校を応援するよきOBだが「当時は軽率な行動を起こす選手と毎日いたちごっこでした」と平日の5日間を寮で寝泊りしていた斎藤貴志副部長は語る。

試合のボールボーイをしているにもかかわらずガムを噛んでいる選手、「虫が飛んでいたんで」という理由でミーティング中もよそみをする、「もえるごみ」のところに堂々とビンカンを入れる、寮で出される魚一匹をどう食べていいのか分からず捨てる選手など。規則やマナーを守れない選手たちは「野球をする以前に人としてダメ」だと指導陣は痛烈に感じた。



2011年、2012年と2年連続で夏に一回戦負けが続いたとき、学校側から「もう一度、選手の指導について改めるように」と声がかけられた。

このとき指導者たちはチームを勝たせたい気持ちが先行し、結果を求めすぎていたことを反省した。そこで頂上を目指すのではなく、まずこの1年でベスト8に入るチームにしようと決めた。そこから選手一人ひとりと今まで以上に向き合い、辛抱強く成長を見守ることを心がけた。選手も期待に応えるように少しずつプレーが変わり始めた。

そして満を持して迎えた秋の大会は、県大会の初戦で創志学園と対戦した。「ボロ負けになるかな」と堤監督は思っていたが、粘りをみせ9回まで1対1のまま進んだ。延長10回に創志学園のバッターに連続本塁打を許し1対4で負けるも善戦した。ちなみにこのとき、1年生でショートを守っていたのが、のちにプロへ行くことになる藤井皓哉だった。そして冬に藤井が投手として急成長する。当時、3年生にも良い投手がいたので、2枚看板で良い試合ができると思った春の大会は、県大会には出場するが残念ながら初戦敗退してしまった。そして夏の大会は、3回戦で倉敷商業に2対5で負け、ベスト8には届かなかった。ただ、試合を観戦していた校長から「これからも君らにやってもらうよ」と言ってもらえた。負けたとはいえ、倉敷商業の試合では、素晴らしいパフォーマンスをした選手。そしてこの1年間どれだけ指導者たちが、選手と向き合い必死にやっていたかを校長は見ていた。

この試合で、今までのおかやま山陽とは違う印象を受けたのが、他ならぬ対戦相手の倉敷商業・森光監督だった。試合後に言われた「山陽変わったね」という言葉は、今でも堤監督にとって忘れられない一言になっている。(文・写真/永野裕香)

続きは本書よりお読みください



【掲載高校】

◎私立おかやま山陽高校(岡山県)
〜異色な指導で新入部員3人からの大躍進〜
「技術のある子」のスカウトをやめた時に転機が訪れた。
勝てない野球部を異色の経歴の指導者とスタッフが懸命に指導。
10年間で、甲子園出場、プロ野球選手輩出、部員100名を達成した苦闘の歴史。

◎私立下関国際高校(山口県)
〜廃部危機に追い込まれた野球部の下克上〜
部員の不祥事よって崖っぷちに立たされた野球部の監督に就任。
部員1人の時期も諦めることなく選手と向き合い、自分と向き合い続けた熱血指導者は、「弱者が強者に勝つ」をスローガンに戦う。

◎私立霞ヶ浦高校(茨城県)
〜9回の絶望の末に勝ち取った甲子園、その先にある未来〜
アウト1つ、あと1球、夢の舞台まで数センチのところにいながら、いつも勝利を逃してしまう。
立ち上がれないほどの絶望を味わいながらも、自問自答を繰り返し這い上がってきた監督とチームの物語。

◎私立折尾愛真高校(福岡県)
〜選手9人・ボール6球・グラウンドなしからのスタート〜
女子校から共学高になった翌年創部した野球部は、全てない・ない尽くし。 グラウンドも手作りして、チームの一体感が奇跡を起こす。
産みの苦しみから栄光を勝ち取った野球部が次に繋げるバトンとは。

◎私立クラーク記念国際高校(北海道)
〜通信制高校の創部3年目の奇跡〜
通信制の世間のイメージを覆す創部3年目の甲子園出場。
選手が集まらない、知名度がない、通信制という特殊な環境の中、かつて駒大岩見沢を率いた名将は、どのようにこの苦境を切り拓いていったのか。

◎県立石巻工業高校(宮城県)
〜大震災が残したもの、甲子園が教えてくれたもの〜
東日本大震災から8年。
2012年に21世紀枠でセンバツに出場してから7年が経った。
心に秘めるのは、あの時心を奮い立たせてくれた「野球への恩返し」。
監督も選手も野球の底力を信じて進む。



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