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【折尾愛真】「ボール6球から始まった公園での練習」

2019.8.27

9人に満たない部員数、雑草だらけのグラウンド、ヤンチャな生徒たち、未曾有の災害……さまざまな困難を乗り越え、いかにして甲子園への切符を摑んだのか?
「Timely!」編集の『どん底からの甲子園』(辰巳出版)から、折尾愛真野球部の本書掲載内容の一部を紹介します。


「ボール6球から始まった公園での練習」より

6月、ようやくボールを使っての練習が始まった。選手たちは目を輝かせながら、公園に足を踏み入れた。キャッチボールにトスバッティング、内野ノックもできる。「嬉しくて、ホームルームが終わるとダッシュして公園に向かっていました」と麻生浩司。ウォーミングアップも兼ねて、走って向かう公園までの道のりでは地元の方から「今から練習? 頑張ってね」と声をかけられるようになり、この放課後の風景がだんだんと根付いていった。奥野博之監督はこう続ける。

「私は学生時代、恵まれた環境で野球をしていました。グラウンドがあるのは当たり前。だから、公園で練習できたときは感動しました。甲子園を決めたときと引けを取らないくらい嬉しかったですね」

広さはセンター60メートルほど。外野を含めた連係プレーはできない。それでも練習に飢えた選手たちにとってはすべてが新鮮で、大きな一歩だった。ボールはわずか6球、バットは4本。失くさないよう大切に使った。久々に公園を訪れた麻生が当時の練習について教えてくれた。

「当時、部長をされていた石原(正則)先生の〝球出し〟が一番きつかったです。僕らはセカンドベース付近にいて、先生のいるホームを目がけてダッシュする。投げられるボールをノーバンで捕球する練習を1時間以上やっていました。それにアメリカンノックも。今でも同期で集まると、きつかった思い出話をします」

この頃、部員は麻生、桑名順平、竹松翔平、川端亮介の男子4人、松永綾香の女子1人になっていた。はじめはマネージャー希望かと思っていた松永は「選手としてやりたいです」と入部し、男子と同じメニューをこなす。高野連の規定で公式戦に出場できないと知っていながらも、辞めることなくチームの一員として活動を続けていた。5人では球出しの順番がすぐに回ってくる。広さと人数によって練習メニューは限られた。もちろん、試合もできない。それでも不満はなく、むしろ楽しくて仕方がなかった。



2005年春、待望の新入部員は15人。試合ができる人数になると、早速4月に初めての対外試合が組まれた。真新しいユニホームの胸には大きく「折尾愛真」と記されている。対戦相手は早鞆、場所は下関球場(現・オーヴィジョンスタジアム下関)。プロ野球が開催される立派な球場でプレーできることに監督も選手も胸を弾ませていたのだが……試合が始まってみると、一気に現実を突きつけられた。投手はストライクが入らない、やっと入れば連打される。外野手はフライが捕れず、内野手はゴロを捕っても暴投してしまう。「胸を借りるつもりでやらせてもらいましたが、長くてなかなか終わらなかった」という試合は1対17で完敗。

「グラウンドがなくても地道にやっていれば大丈夫と、粋がってやってみたものの結果がこれです。外野手は公園でフライの捕球練習ができていない。軟式では経験があっても硬式ではボールの上がり方も違う。やはり練習しなければ上手くはなりません」

グラウンドがないならせめて移動手段だけでもあればと、学校がバスを用意してくれた。月に数回は球場を借り切って、シート打撃など実戦的な練習を始めた。

「この頃は遠征から何から、やることすべてが初めての経験でした。大変だったけど、それ以上に喜びも感じられた」

奥野監督にとっても、指導者としては未経験のことばかり。選手と一緒に経験を積んでいった。
(文・写真/古江美奈子)

続きは本書よりお読みください



【掲載高校】

◎私立おかやま山陽高校(岡山県)
〜異色な指導で新入部員3人からの大躍進〜
「技術のある子」のスカウトをやめた時に転機が訪れた。
勝てない野球部を異色の経歴の指導者とスタッフが懸命に指導。
10年間で、甲子園出場、プロ野球選手輩出、部員100名を達成した苦闘の歴史。

◎私立下関国際高校(山口県)
〜廃部危機に追い込まれた野球部の下克上〜
部員の不祥事よって崖っぷちに立たされた野球部の監督に就任。
部員1人の時期も諦めることなく選手と向き合い、自分と向き合い続けた熱血指導者は、「弱者が強者に勝つ」をスローガンに戦う。

◎私立霞ヶ浦高校(茨城県)
〜9回の絶望の末に勝ち取った甲子園、その先にある未来〜
アウト1つ、あと1球、夢の舞台まで数センチのところにいながら、いつも勝利を逃してしまう。
立ち上がれないほどの絶望を味わいながらも、自問自答を繰り返し這い上がってきた監督とチームの物語。

◎私立折尾愛真高校(福岡県)
〜選手9人・ボール6球・グラウンドなしからのスタート〜
女子校から共学高になった翌年創部した野球部は、全てない・ない尽くし。 グラウンドも手作りして、チームの一体感が奇跡を起こす。
産みの苦しみから栄光を勝ち取った野球部が次に繋げるバトンとは。

◎私立クラーク記念国際高校(北海道)
〜通信制高校の創部3年目の奇跡〜
通信制の世間のイメージを覆す創部3年目の甲子園出場。
選手が集まらない、知名度がない、通信制という特殊な環境の中、かつて駒大岩見沢を率いた名将は、どのようにこの苦境を切り拓いていったのか。

◎県立石巻工業高校(宮城県)
〜大震災が残したもの、甲子園が教えてくれたもの〜
東日本大震災から8年。
2012年に21世紀枠でセンバツに出場してから7年が経った。
心に秘めるのは、あの時心を奮い立たせてくれた「野球への恩返し」。
監督も選手も野球の底力を信じて進む。



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