学校・チーム

【石巻工】「甲子園から7年――。石巻工のいま」

2019.8.29

9人に満たない部員数、雑草だらけのグラウンド、ヤンチャな生徒たち、未曾有の災害……さまざまな困難を乗り越え、いかにして甲子園への切符を摑んだのか?
「Timely!」編集の『どん底からの甲子園』(辰巳出版)から、石巻工野球部の本書掲載内容の一部を紹介します。


「甲子園から7年――。石巻工のいま」より

あれから7年。甲子園に出場する前と後で、取り巻く環境は大きく変わった。

2014年、グラウンド横に鉄筋、全面人工芝の室内練習場ができた。全長50メートル横20メートルの長方形で、ブルペン2カ所、ティー打撃10カ所ができる広さ。雨の日でもティー打撃や、内野ノックができるようになった。県内の公立校でこれほど立派な室内練習場を持っている学校はない。環境面では、おそらく県内の公立校でナンバーワンだろう。入口には甲子園出場記念の石碑が建てられ、偉業を成し遂げた選手31人と、スタッフの名前、そして選手宣誓の全文が刻まれている。グラウンドに訪れる人のほとんどが、足を止めて見入ってしまう「栄光の証」だ。2012年4月に放送されたTBSの人気番組「情熱大陸」で監督の松本嘉次が取り上げられてからは、グラウンドを見に来るファンの数も急増したという。

監督の松本ら3人の教員は市外へ転任し、コーチの阿部裕太は松本のあと約3年監督を務めたのち、現在はやはり市外の黒川高の監督をしている。高齢だったGMの斎藤貞郎は甲子園出場後、病気で他界。甲子園を経験したスタッフ6人の中で、残っているのは外部コーチの佐藤義博ただ一人となった。

異動のある公立校の場合、特別なケースでない限り「長期政権」というものはない。指導者が変わればチームも変わっていく。これが公立校野球部の宿命だ。この難しさがあるから、公立校を応援するファンが絶えないともいえる。

これまで7人の監督をサポートしてきたコーチ歴22年目の佐藤が、見守り続けるチームについて、こうきっぱりと言った。

「甲子園に出て変わったこと? 悲惨なことしかありませんよ!」
顔が笑っていたので、もちろん、冗談である。しかし7年の月日について、こう続けた。

「夢を成し遂げちゃったあとって、難しいですよね。達成感しかないですもん。僕らはあのとき、21世紀枠で選んでもらったから甲子園に行けたわけで、実力で行ったのではない。そこをどうつなげていくか。子どもが減っている、野球離れが進んでいる。震災直後のときよりも、今のほうが『どん底』なのかもしれません」。危機感を帯びた真剣な顔で言った。



下手な選手がうまくなるためには、基本の反復練習が必要だ。黒川慎朔や阿部翔人がいた時代は、選手が自主的に夜10時ごろまで居残り練習をし、自分の課題を克服していた。当時は中学時代に全国大会に出た能力ある選手がそろっており、運動能力も高かった。うまい子が練習するから、もっとうまくなる。24時間を野球に注いでも、そのことを応援する人のほうが多い時代だった。

しかし今は違う。スポーツ庁からの通達などで、部活動を長時間することは「勉強が疎かになる」、「教員に負担がかかる」など、マイナスイメージが先行してしまっている。佐藤は「どん底」と揶揄したが、チームを「やりこむこと」で強くしてきた指導者たちが、愚痴の一つもこぼしたくなるのも無理はない。

「逆風」ともいえるこの状況を、打開しようと燃えている人物がいる。現監督の利根川直弥だ。利根川は築館で12年間野球部監督を務めたのち、2017年春から石巻工に異動でやってきた。1972年生まれの47歳。出身は現在の大崎市。合併前の「古川市」と言ったほうがピンとくるかもしれない。

続きは本書よりお読みください



【掲載高校】

◎私立おかやま山陽高校(岡山県)
〜異色な指導で新入部員3人からの大躍進〜
「技術のある子」のスカウトをやめた時に転機が訪れた。
勝てない野球部を異色の経歴の指導者とスタッフが懸命に指導。
10年間で、甲子園出場、プロ野球選手輩出、部員100名を達成した苦闘の歴史。

◎私立下関国際高校(山口県)
〜廃部危機に追い込まれた野球部の下克上〜
部員の不祥事よって崖っぷちに立たされた野球部の監督に就任。
部員1人の時期も諦めることなく選手と向き合い、自分と向き合い続けた熱血指導者は、「弱者が強者に勝つ」をスローガンに戦う。

◎私立霞ヶ浦高校(茨城県)
〜9回の絶望の末に勝ち取った甲子園、その先にある未来〜
アウト1つ、あと1球、夢の舞台まで数センチのところにいながら、いつも勝利を逃してしまう。
立ち上がれないほどの絶望を味わいながらも、自問自答を繰り返し這い上がってきた監督とチームの物語。

◎私立折尾愛真高校(福岡県)
〜選手9人・ボール6球・グラウンドなしからのスタート〜
女子校から共学高になった翌年創部した野球部は、全てない・ない尽くし。 グラウンドも手作りして、チームの一体感が奇跡を起こす。
産みの苦しみから栄光を勝ち取った野球部が次に繋げるバトンとは。

◎私立クラーク記念国際高校(北海道)
〜通信制高校の創部3年目の奇跡〜
通信制の世間のイメージを覆す創部3年目の甲子園出場。
選手が集まらない、知名度がない、通信制という特殊な環境の中、かつて駒大岩見沢を率いた名将は、どのようにこの苦境を切り拓いていったのか。

◎県立石巻工業高校(宮城県)
〜大震災が残したもの、甲子園が教えてくれたもの〜
東日本大震災から8年。
2012年に21世紀枠でセンバツに出場してから7年が経った。
心に秘めるのは、あの時心を奮い立たせてくれた「野球への恩返し」。
監督も選手も野球の底力を信じて進む。



PICK UP!

新着情報