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【近江】多賀章仁監督|「当時の負けは今の指導にも繋がっている」

2023.12.11

強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか?近江高校の多賀章仁監督にお話を聞きした後編です。(聞き手:沢井史)


繰り返された、油断が招いた敗北

インタビュー前編はこちら→


――初めて甲子園に出場した当時のことは覚えておられますか?

実は最初に甲子園に出た年の県大会のチームの打率が1割9分台で、なかなか打てないチームだったんです。ただ、投手は滋賀大会6試合で4点ほどしか失点していなくて、43イニングだったかな、連続で無失点を続けたこともありました。
打てないけれど少ないチャンスをものにして守り切るスタイルで、当時はエース右腕の長谷川、2年生左腕の鈴井という左右の投手が交互に投げて、長谷川が93球で完封した試合もありましたね。
長谷川は普段の練習姿勢も良く、お手本のような選手でした。鈴井は長谷川を見てもっと練習しなきゃいけないと必死になってやっていました。長谷川はこれだけやったから結果を残せた、というくらい走っていたので自ら結果で体現してくれていましたね。そういうチームで甲子園に出られたことがチーム作りの原点になっています。
 
――それから2、3年に1度は甲子園に出場する甲子園常連校になりました。

私が監督になって34年間で県大会の初戦敗退が2度あるのですが、そのうちの1回がその甲子園に初出場した次の年(93年)でした。これも僕の長い監督歴の中では貴重な経験でした。鈴井もチームに残っていましたし、夏の大会に入るまでのチーム状態がすごく良くて、これで大丈夫だと安心してしまったんですね。最初にそういうチームで甲子園に出られたこともあって、これで連覇できると確信してしまいました。
その年の3年生には申し訳なかったけれど、私の油断があったから負けたんでしょうね。89年夏の5回のあの時の心理と一緒ですよね。これで勝てるとタカを括ってしまったことは今でも苦い経験です。



――01年夏の甲子園では準優勝して、3人の投手の継投で勝ち上がったことも話題となりました。

1人のしっかりしたピッチャーがいたらああいう継投になっていなかったかもしれませんが、実は春の県大会は竹内(和也)、島脇(信也)、清水(信之介)の3人を起用して負けたんですよ。
当時も夏の第一シードが八幡商で、すごく力がありました。ウチは1人の投手を柱にしても勝てるイメージがなかったので、じゃあ3人で繋いでいくか、ということで6月の練習試合で、竹内が先発して清水を抑えで起用する、という流れを作ってきて、甲子園でもそういう継投で勝つことができたんです。

――18年の夏の甲子園でベスト8に進んだ時も、複数の投手を起用して勝ち上がっていましたよね。

夏の甲子園で準優勝した時は小森(博之/現・同校コーチ)という、どんなピッチャーも受け入れられる大らかさのあるキャッチャーが3人の投手を引っ張ってくれて、18年は有馬(諒/関大)という当時2年生のキャッチャーがいました。
有馬と同じ2年生の林(優樹/楽天)と、エースの金城(登耶)、松岡(裕樹)、佐合(大輔)という3年生の投手がいましたが、3年生は有馬の存在に一目置いていましたし、有馬の発言も腑に落ちていたようでした。複数の投手が持ち味を発揮することも大事ですが、そういったキャッチャーの存在もものすごく大きかったと思いますね。

――監督就任直後のそういった“失敗”経験が、今の結果を作っている。

監督になった時はまず甲子園に出ることが目標で、出られるようになったら勝つことが目標。今でも負けて学ぶことは多いですが、あの当時の負けは今の指導にも繋がっている部分はたくさんあると今でも思います。(取材・写真/沢井史)

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