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【近江】多賀章仁監督|「勝った」と油断・・・手痛い逆転負けが監督としての出発点

2023.12.6

強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 01年夏と22年春には甲子園準優勝にも輝いている、近江高校の多賀章仁監督にお話を聞きました。(聞き手:沢井史)


「勝負は下駄を履くまで分からない」

――多賀監督は83年から近江高校のコーチとなり89年に監督に就任されて、指導者生活はコーチ時代も合わせると今年でちょうど40年となります。今回は長い指導者生活の中で、今でも心に刻まれている“失敗”を挙げていただくインタビューとなります。
 
試合をしている私からすると、失敗=試合での負け、ということになります。私は練習試合でも負けることは許せないと思ってしまうんですよ。練習試合でも負けたという結果をしっかり受け止めて、原因を突き詰めていく。公式戦はなおさらです。でも、公式戦は本当によく負けてきましたから・・・・・・。
負けては原因追求をして、勝って、でもまた負けて…その繰り返しでここまで来たのかなという感じです。
 
――その中で最も印象深い試合を挙げていただくと?

89年春に監督となって、初めての夏の大会ですかね。当時、八幡商が滋賀県では圧倒的に強くて、88年夏から県大会で4連覇しているんですよ。その2連覇目の夏が86年で、決勝がウチとの対戦だったんです。
試合は5回まで4-0でウチがリードしていて、5回が終わったグラウンド整備中でした。あの頃、私はタバコを吸っていて、喫煙所で当時は県大会のベンチ入りメンバーが18人で夏の甲子園に行けば15人になるので、3人誰を外せばいいのかなとか、甲子園に出た時のことをぼんやりと考えていたんですよ。
「勝負は下駄を履くまで分からない」とも言いますが、今思うとそんなことを考えていた自分は愚かだったなと思いました。

ーー6回裏に3点を取られて1点差に。

“これはやられるのでは”という気持ちになって、5回までの「勝ったな」、という気持ちから何とか逃げ切りたいとい、1点リードで何とか最後まで、と段々弱気になっていたんです。
8回裏に先頭の4番打者がヒットで出塁して、5番打者が二塁打を打って、ノーアウト二、三塁になったんですね。でも、6番、7番打者から連続三振を取ったんですよ。でも、8番打者に初球をレフト線に叩かれて、それが逆転のツーベースになってそのまま負けました。
 



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