カラダづくり

【鳥取城北】春の大敗を乗り越えて鳥取の頂に立った夏

2018.10.31

春の県大会での大敗エースの台頭


3年生45名、2年生37名、1年生53名。県下でもトップクラスの部員数を誇る。
冬の間もチームは今ひとつまとまりに欠けていた。そんな状況のままむかえた春の県大会。準々決勝で米子北に12対0で大敗を喫した。
「このままでは絶対に甲子園には行けない」そう思った選手たちは米子北戦のスコアを目につく場所に貼り、悔しさを忘れないように練習に励んだ。練習に精を出す中で、選手たちは気がついた。他人のことばかり気になっていたが、誰かに不満を持っていても何も解決しないこと。妬みひがむ前に自分自身が力をつけ成長していくことが大事だと。ここから練習に対する意識が変わり、6月の終わり頃から少しずつチーム状態が上向いてきた。

3年前に完成した野球部専用のグラウンドは両翼95m、中堅120mの甲子園仕様。

昼食の時間になると3年生から順に並んでごはんを受け取る。「大盛りでお願い」とマネージャーに頼む選手たち。マネージャーとのコミュニケーションの場でもある。
一方で、エースの座からは遠い場所にいた難波海斗投手が徐々に力をつけ始めてきた。難波投手の成長の鍵となったのがチームメイトの河北直也選手。投手としてなかなか成長できず苦しんでいたが、結果が出なくても妥協することなく、決してくじけない。その姿勢に「直也が言うんだったら…」とチーム全員が信頼を寄せる、投手陣のリーダーだ。3年間一度も公式戦のマウンドにあがることはなかったが、弛まぬ努力を続ける彼の存在が難波投手をはじめ、チームに良い刺激になっていた。


5人同時に投球できるブルペン
夏の大会、エースナンバーが難波投手の背に。だが、春の県大会では投げていなかったので監督としては体力面に不安があり、一試合の中でピッチャーを交代しながら総力戦で戦い進める考えだった。チームは決勝までその作戦で勝ち進んだ。決勝も難波投手ではなく、先発に別のピッチャーを予定していたが、そのことをコーチから聞いた難波投手は「先発の座は誰にも渡しません。決勝戦のマウンドは僕が最後に仁王立ちします」と言い放った。そしてむかえた決勝戦。仲間の想いを力に変え、彼は完璧なピッチングをし、初完封で県大会優勝の立役者に。名実ともにエースになった。

広大なグラウンドで選手たちは周囲を気にすることなく思いっきり打撃練習ができる。


PICK UP!

新着情報