一方的な指導になっていた監督就任当時
その後、リクルート野球部の休部もあって教員として母校に赴任。1999年には監督に就任している。しかし先に大学野球、社会人野球の指導を経験して高校の監督になるというケースはそうあるものではない。そしてその経験が逆にマイナスになった部分もあったという。
「高校の監督になった時に、自分の恩師にも『一番厳しいルートだな』と言われたんです。どういう意味かというと、アマチュアのトップレベルでやっていたところから、一気にレベルが下がって、そのギャップが大きいという話です」
藤田監督も当然それは意識しており、目線を高校生に合わせて十分に下げないといけないことを自覚して取り組んでいた。
「当時の佼成学園はかつて甲子園に出た時とは違って、本当に都大会でもすぐに負けるようなチームだったんです。今思い返せば、自分では目線を下げているつもりでも、そうはなっていなかったのかなと思います。これまで自分が大学や社会人で得てきたことを教えてやろうという一方的な指導でしたね。まだ若かったということもありましたけど、とにかく『自分が何とかしてやろう!』という気持ちでやっていて、苛立つことも多かったですね。それが上手くいかなかった原因かなと思いますね」
藤田監督就任当時の佼成学園はほとんどが付属中学から内部進学してきた選手だけで構成されており、かつての甲子園出場校という雰囲気は全くなかった。そこに東京六大学、社会人野球という高いレベルを知った指導者が来ても、いきなり結果を出すのは簡単ではなかった。
「2005年に学校が強化部に指定してくれて、そこから選手も入ってくるようになりました。ただそれでも結果が出ない。2007年春に創価高校さんにコールド負けしたときには校長に辞表を出しました。強化もしてもらって2年経って、ある程度戦えるかなと思っていたらこの結果でしたので」
果たしてそこからどのようにして古豪復活への道を歩み始めたのか? 後編では現在の取り組みとあわせて紹介する。(取材・文:西尾典文/写真:編集部)
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