企画

社長になった「球児」に会いにいく|米沢谷友広(秋田商業出身)グローバルポーターズ株式会社代表(1)

2020.9.10

憧れの甲子園、まさかのメンバー漏れ




ーー甲子園でマウンドに立つ機会は?
甲子園では秋田大会よりもベンチ入り人数が2人減らされるのですが、そこで私は外されてしまいました。

ーー外されるのを告げられたのはいつですか?
大阪入りしてからですね。

ーー心の準備みたいなものはあったのですか?
ありましたね。ピッチャーの4番手でしたし、当落線上だなって。

ーーどのようにして伝えられたんですか?
メンバーの名前が呼ばれて背番号が配られて、「名前、呼ばれなかった......」という感じですね。

ーーなかなかキツいですね......
でもそのあとに監督さんの配慮で、秋田のメディアの皆さんを集めて、ベンチから外れる3年生のピッチャー3人が公式練習で甲子園のマウンドで投げるから取材してあげてくれと言ってくれましたね。それで救われました。それがなかったら絶望しかなかったですね。この3年間なんだったんだって。

ーーメンバーから外れてしまったことは親御さんにはどのように報告されたんですか?
あまり覚えてないですけど、電話で「ダメだったわ......」みたいなことを話したと思います。親はたぶん泣いてましたね。新チームになってからずっと背番号11番、18番を繰り返していたんですけどベンチには入っていたんですね。県大会や東北大会でもちょこちょこは投げていてそれなりに評価はされていたと思うんですけど。親も自分の息子が当落線上にいるというのは分かっていたとは思います。

ーー直前にメンバーから外されてしまってスタンドから素直に仲間を応援できました?
できましたね。甲子園に出られたことが夢のようなことでもありましたし、正直もう肩も壊して限界にきていましたので、試合に出られてもベストパフォーマンスは難しいと分かってましたから。逆にベンチに後輩のピッチャーが入っていたんですけどそこを応援する気持ちの方が強かったですね。


PICK UP!

新着情報