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【あの球児、今何してる?】鍛冶友佑(県立相模原―中央大学)

2021.12.8

外交官になる夢が「筋肉」に変わった4年間

——進路として中央大を選んだ理由は?
両親に負担をかけたくなかったので国公立大学を志望していました。でも担任の先生に「中央大学法学部に指定校推薦で進学という道もある」と言われたんです。当時のインタビューでも答えていましたが外交官になることを目指していましたので、中央大学の英語留学制度には惹かれるものがありました。最終的には親に相談して「中央大学の法学部ならいいよ」と許しをもらえて、推薦をいただくことになりました。

——外交官になる目標はどこかで変わってしまったのですか?
英語の海外留学制度だとかがすごく充実していまして、そういうところから英語の能力を向上させて、ゆくゆくは外交官になるという目標を描いていたのですが、私は大学でボディービルにドはまりしてしまいまして、学業の方がおざなりにしてしまったんです。

——(笑)
大学に入ると「自分の時間」というものが増えまして、それで「あ!留学に行ったらトレーニングできない!」と思ってしまって……。
今にして思えば、留学先でも家でトレーニングをすればいいじゃないかと思うんですけどね(笑)。


——外交官になる夢が筋肉に変わってしまったということですね。
本当にお恥ずかしい限りなのですが、大学2年の後半頃まではずーっとジムに入り浸っていまして、相模原高校で培った文武両道はどこに行ったんだ? という大学生活を送ってしまいました。

——ボディービルダーとしての実績などもあるのですか?
2年前に大会に出まして、そのときは初出場だったのですが65人中12位。つい一ヶ月前にも2年前よりも1ランク大きな大会に出まして、24人中7位になりました。

——それは凄いですね! ボディービルは社会人になっても続けていく?
そうですね。続けていきたいと考えています。

——ちなみに就職先はどちらに?
不動産業界に進みます。

——近い将来、東京の不動産業界で人一倍ムキムキな社員がいたら鍛冶さんということですね。
間違いなく私ですね(笑)。

高校野球で身についた「3つ」のこと

——今になって思う、高校時代に野球をやっていたから身についたこと、良かったと思うことはありますか?
3つあると思っています。1つは継続力。ボディービルのトレーニングもそうですけど不動産の勉強をしっかりやろうと思って1年半継続できていますし、そういうところは振り返ってみると高校時代に毎日素振りをする、ダッシュをするとか、野球を通じて継続してきたことが今に繋がっていると思います。
もう1つはコミュニケーション能力が培えたこと。先輩、後輩はもちろんですけど、主将でしたので野球部の代表として保護者の方や先生方など色んな年代の方と話すことも多く、そこでコミュニケーション能力が自然に身についたように思います。就職活動でも面接担当の方に「すごくハキハキしゃべりますね」と何度かおっしゃって頂いただいたこともありますし、そこは高校野球をやっていたお陰だと思っています。最後は、またボディービルの話になるんですけど、いいですか?

——いいですよ(笑)。
ボディービルでもたくさん食べて筋肉を増やすトレーニングがあるんですけど、筋肉は増やしたいけど食が細くて量を食べられないという人もいるんです。でも自分は高校時代に「青春のタッパー飯」を食べていましたから、食べるトレーニングが苦になりませんでした。今では現役時代より多い五合から六合を一日で食べています。

——ボディービルにも高校野球が大きく繋がっているんですね。いま改めて振り返ってみて鍛冶さんに「高校野球」とは何でしたか? 一言でお願いします!
月並みですけど「青春」ですね。

——それでは最後に母校の後輩たちにひと言お願いします。
全力で高校野球をやり抜いてほしいですね。それが後々自分の財産になることは先輩の私が保証します!

——佐相先生にもひと言お願いします!
高校時代は大変お世話になりました。高校時代に考えていた進路とは違う方向になってしまうんですが、ボディービルという新しい趣味も見つかり、幸せなことに就職も決まりました。1人のOBとして県立相模原高校を応援しておりますので、先生もいつまでも変わらずにお元気で頑張ってください。

鍛冶さん、ありがとうございました!



高校時代に「将来は外交官になりたい」と夢を語ってくれていた鍛冶くんに再び会ったら、、、

大学でボディービルに目覚めた、
笑顔と筋肉が素敵な青年になっていました。

(取材・文・写真:永松欣也/写真:本人提供)

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