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【敦賀気比】木下元秀|ドラフト指名を待つ、北信越を代表する左の強打者(前編)

2019.10.16



 そんな中、中学2年の冬前に、敦賀気比の東哲平監督が指導したこともあるヤングリーグのオールスター福井と練習試合をする機会があった。試合後、自軍の監督がオールスター福井の関係者に木下の話をしたことで、木下の評判が敦賀気比にも伝わり、中3の春に東監督が練習を見に来ることになった。直前にその話を聞かされた木下は「投げる方でも打つ方でもアピールしなあかんって必死でした」と“サプライズ”に奮起。敦賀気比は猛打に注目が集まっていたが、当時の2年生エース・平沼翔太(現日本ハム)のような好投手もおり「(投打で)どちらででも成長できるので何としても行きたかった」。そして、それは現実になった。

 だが、入学した木下を待ち受けていたのは厳しい現実だった。大阪から遠く離れた福井へ行くことは当初は抵抗を感じていなかったが、慣れない寮生活や身の回りのことをすべて自身でやらなくてはいけない自己管理の大変さを思い知ることになる。そのうえ、中学で所属したチームは野球を楽しむことが目的で、それほどの強豪ではない上、厳しい練習をほとんどやったことがなかった。入学してすぐに与えられたメニューはランニングやトレーニングなどの体作りがメイン。あまりのキツさに木下は当時を「地獄でした」と苦笑いしながら振り返る。
「毎日、冬の練習をやっていたような感じですね。それまではしんどいことをずっと避けて通ってきたので、自分の甘さも感じました」。

78キロあった体重は70キロ近くまで落ち、精神的にも追い詰められた。その上、入学時は投手と野手の練習メニュー両方をこなしていたため、走るメニューと並行してトレーニング漬けの日々だった。心が折れそうになったが、ここで挫ける訳にはいかない。「背番号をもらうために、何とか頑張らんとあかん」(木下)と腹をくくり、厳しい練習にも前向きに取り組んだ。(文・写真:沢井史)

*明日の後編に続きます。

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