企画

連載野球小説 『天才の証明』 #29

2016.9.7


〜第29回〜

 葛原正人から文章鑑定を依頼された作家の三島シンジは、用紙に印刷された文章の内容を検分していた。三島シンジは誰もいない室内で独り言のように呟いた。

「……何とも不思議な文章だね」

 火野周平の異常な身体能力は人為的に作られたものだ。我々はそのルーツを知っている。
 火野周平は遺伝子操作によって、人体改造を生まれながらに施された〈作られた子供(デザインベビー)〉であるとの確たる証拠を得た。これは新時代のドーピングにも等しい恥ずべき行為である。 
 己の肉体のみを唯一の資本とする競技そのものの在り方を根底から覆すものであり、フェアプレイ精神に背く禁忌の存在に等しい。遺伝子を操作してまで競技成績を向上させようなどという悪しき前例を黙認すれば、野球界の健全なる発展を害することは明白である。 
 よって我々は火野周平の球界からの永久追放を強く求めるものである。
 火野周平の身の潔白が証明されない限り、マスコミ各社にこの情報を暴露することとする。ガンナーズ球団の誠意ある対応を期待する。

 三島シンジは電子メールを立ち上げ、キーボードをタイプした。淡々と自らの所見を書き綴る。

《疑問点その1》
確たる証拠を得たと言いつつも、そもそも証拠が明示されていない。

《疑問点その2》
確たる証拠があるとしたら、身の潔白など証明しようもないと思われる。

《疑問点その3》
球界からの追放を要求すると書かれており、字面通りに同文を受け取ると、選手自身を追放ないし非戦力化すること自体が目的であった可能性あり。その場合、首謀者はリーグで順位を争う他球団の関係者ないしは他球団の狂信的なファンによる仕業であると仮定する必要が生じる。しかしながら、予告文章に手が込み過ぎている点に疑問が残ることを持ってその可能性を棄却。

《疑問点その4》
もしアスリートが幼児期に受けた医学的治療を通して何らかの遺伝子ヴァリアントを獲得したとしたら、ドーピングをしているとして当該人物を排除するのは正しい振る舞いであろうか? 
仮に何らかの遺伝子改変があったとして、それを検出することのできるアンチ・ドーピングテストは現状存在しない点を鑑みると、ある特定の遺伝子ヴァリアントを生来有する者と、人工的にそうなった者を区別することは科学にとって困難な挑戦である。
極論として「遺伝子ドーピングを合法化すべき」だと主張する科学者も一部存在する。

極論ついでの一つの仮定として、未来が遺伝子ドーピングが合法化された社会になった場合に、もっとも利益を得る人間はどんな人物であろうかについても推論する。ドーピング用の薬剤を頒布する製薬会社、ドーピングを施す医療者、ドーピングを施された競技者、競技者を仲介して手数料を得る代理人といった類であろうと考える。だが、遺伝子ドーピングが合法化した場合に最も被害を被るのもまた競技者である。

周囲がドーピングを施された競技者ばかりになれば、自ずと生来の肉体と努力のみでは太刀打ちできない領域へと昇華されるであろうことは想像に難くない。遺伝子ドーピングにかかる費用が高額になればなるほど、資力のある人間がより優位になり、そうでない人間はより不利へと構造化される。しかしながら、先の考察はあくまで遺伝子ドーピングが蔓延した近未来の推定である。

遺伝子ドーピングなるものが実用段階にない現行の世界においては、他のアスリートの排除よりもまずもって優先すべきは機密保持であろうと考える。今回名指しされたのが有力な競技者であった点も併せて考えるに、同様のドーピングを施された他の競技者による犯行という線は薄いものと結論する。

火野氏を貶めるに至った人物も遺伝子ドーピングを施されていた同業者と仮定した場合、機密保持の観点から考えれば、両者はある意味では共犯関係にあると推定できる。両者ともに秘密が公になることが最大のリスクであるため、わざわざマスコミを賑わすような凶事には及ばないものと考える。

《暫定的な結論》
 可能性1.単純なる金銭目的。球団を長期にわたって強請るための体のいい口実作り
 可能性2.遺伝子ドーピングの推進および合法化を目論む人間の犯行
 いずれかの可能性を考慮されたし

 文章を書き終えた三島シンジは、緋ノ宮中学時代の同級生である葛原正人へメールを送った。

(著者:神原月人)


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