企画

連載野球小説 『天才の証明』 #21

2016.8.10


〜第21回〜

 記憶の中の葛原正人は胡散臭い関西弁を喋っていたはずだが、電話に出た男は丁寧な言葉遣いの標準語だった。

「はい、お電話ありがとうございます。ファイアスターター社でございます」

 葛原が雇っている社員か誰かであろうか、得体の知れない業務を営んでいるらしい怪しげな会社にしては好感の持てる電話対応であった。

「葛原さんに代わって頂けますか」

 山口がそう言うと電話先の男は急に押し黙った。はて、何かまずいことでも口走ったのだろうか。電話先でわざとらしい舌打ちの音が聞こえた。なぜ社長の名前を告げただけで、露骨に不快感を表明されなければならないのだ。先ほどの丁寧な対応との落差に山口は思わず大声で怒鳴り散らしたいような衝動に駆られたが、かろうじて自省した。

 電話先でなにやら男がぶつぶつと呟いているようだ。耳を澄ます。

「何やねん、オレは男の依頼は受けへんって言うてるやろうが」

 懐かしい関西弁だった。山口が破顔する。

「葛原だよな、お前」

 山口がそう言うと、「どちら様で?」電話先の男の口調が微妙に改まった。

「山口だ。山口俊司。中学の時に同級だった」

 言い終わらぬうちに、芸人張りの速射砲のような甲高い声が返ってきた。

「おう、なんやぐっさんやんけ! 誰や思うたで。先に言うてやー」

 山口が用件を伝えようとすると「で、何の用や?」と向こうから問うてきた。

「待て待て待て。言わんでもええで。あれやろ、火野周平絡みの案件やろ?」

 こちらに喋る隙を与えないどころか、勝手に核心まで突いてきやがった。

「どや? 当たりやろ」

 送話口からふふんと得意げな声が漏れた。

「ああ。だいたいそんな感じだな。にしても、なんで分かるんだ?」

 山口が感心したように言った。

「オレら業界、この話題で持ちきりやねん」

 葛原のいう「業界」とは正確にどこからどこまでを指しているのかはまるで不明だが、余計なことなので突っ込まないことにした。
喋りたいだけ喋らせればそのうち全容が知れるはずである。

「みんな副社長が怪しい言うてるで。火野に黒いイメージを付けて、安易に海外に流出しないようにする布石やないかってな」

 いくらなんでも穿ち過ぎだろう。球界の至宝を悪役(ヒール)に仕立てる意味がどこにある。数年前にドーピング渦に揺れたメジャーリーグは、ドーピングの話題に異常に神経質になっていると聞くが、だからといって若手有望選手の国外流出を防ぐ目的のためだけに、〈作られた子供〉なんぞという名誉棄損も甚だしいレッテルを貼るであろうか。

 自球団の期待のホープの商品価値を一方的に下げるフロントなどいやしないはずだ。球団運営費に関しては財布の紐が固いとされるガンナーズの年棒抑制策の一環だとしたら、とにもかくにも外道に過ぎる。

 黙って葛原の話に耳を傾けようとしていた山口は即座に問い返した。

「立花副社長は、絶対にそんなことしない」

 球団運営に関しては、もっと高潔なはずだ。使わない選手はそもそも獲得しないと、ドラフト前にわざわざ説明に来るような人だ。使う選手を無下に扱ったりはするまい。 いや、そもそも「みんな」って誰だ、ということもひとまず触れないことにしよう。話が逸れると面倒だ。この際ソースがどこからであろうが構うまい。

「なんや、本人を知ってるような口ぶりやな」

「いちど会ったことはある」

 いや、正確には二度か。会って、振られた。君とは付き合えないと。それだけだ。

「ふーん、そうけ。最近、副社長が強請られてるっちう噂は知っとるけ?」

「強請られてる? どういうことだ」

「火野の無実を証明する代わりに、球団とアドバイザリー契約を結ばせろとか、アンチ・ドーピングの専属顧問にして年棒ウン千万を保証しろとか、そんな話や」

 それは知らなかった。にしても、なぜこいつはこんなにも裏情報に精通しているのだろう。相変わらず謎の生態をしていやがる。

「そういう名目で人を雇ったことにして、球団の運営費を横領するつもりやないけってな」

 公費を懐に納めるための合法的な手口やな、と葛原が補足した。

「強請られてるんじゃのうて、意図的に強請らせてるん違うかって噂や」

 それは、つまり。

「立花副社長が一枚噛んでるってことか?」

 考えたくもないが、可能性だけを論じるならば、あり得ないとは言い切れない。

「まあ、主犯か従犯かは知らんがな」

 立花副社長が何らかの形で関与しているとすれば、背後に共謀者がいる。葛原はそう示唆しているのだろうか。

「そもそも、例の脅迫文は球団宛てやのうて、副社長宛てに届いていたらしいしな」

 しれっと、あまりにさり気なく葛原正人が内部事情に触れた。

「脅迫文は球団宛てに届いたって会見してなかったか?」

「ちゃうちゃう。球団宛てやのうて、副社長宛てらしいで」

 おいおい。だから、それはどこからの情報だよ。

「さて、ビジネスの話をしよか。本日はどのようなご依頼で?」

 葛原正人はやや改まった口調でそう言った。

(著者:神原月人)


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