企画

NCAAディビジョンⅡに属する大学でプレー 牧田恭平パイセンによる海外留学のススメ 前編

2016.7.7


高校球児にとって運命を変える季節、夏がやってきた。
みんなで見る夢に一心不乱になるのもいいけれど、
今のうちに、少し先の未来のことを考えてみるのもオススメだ!
今回紹介する“パイセン”(=先輩の意味)は、常に先を見据え
努力を重ねてきた、誇るべき男だ!


今週の“パイセン”
牧田恭平(まきたきょうへい)

高校時代は東京都内の強豪校で四番・捕手として活躍。野球を続けつつ、将来のために語学などの勉強にも集中できる環境を求め、野球留学の道を選んだ。現在はNCAAディビジョンⅡに属する大学でプレー。大手企業との面談では野球留学が高く評価されたと話す


この夏を終えたら、どんな道を進むのか??。君は、考えたことはあるだろうか。今回紹介する牧田パイセンは、自分が思い描く人物になるために海外留学という選択肢を選んだ男だ。

 二度の甲子園出場経験のある都立城東校出身。現役時代、甲子園出場はならなかったが、四番・捕手、そしてキャプテンとしてプレーした。そんなパイセンも最後の夏の大会を終えたあと、これからみんなにも訪れることになるだろう“悩み”に襲われた。
「どの道に進むか迷っていました。自分は英語と理系教科が得意だったのですが、それを活かしながら野球を続けられるような環境がほとんどなかったんです。中途半端はいやで、どちらもしっかりと取り組みたかった」。

 勉強も野球も疎かにはしたくなかった。しかし、両立できる道は多くない。悩みに悩んだ末に見つけたのが野球留学の道だった。アメリカの大学は、一定の成績を残さなければ、部活動に参加することができない決まりがあるため、勉強から離れることはない。加えて、レベルの違いこそあるが、どの大学も充実したトレーニング環境が揃っている。両親に相談し、自分の道を進ませてもらうことになった。希望に胸を膨らませ海を渡った。

 出だしは簡単ではなかった。「得意だった」という英語も、会話となると別。文法とは違う生モノの別な難しさを感じさせられた。
「チームメイトが笑っているときとかも、僕だけ分かっていなくて笑えなかったりするんです。寂しい感じがありましたね」。
 細かいニュアンスが理解できないギャップに苦しんだ。ただ時が経つうちに会話も上達。結果も少しずつ出だしたことで、日本では感じたことのない満足感を感じることができたと牧田パイセンは話す。

「成長できたなって感じる部分がたくさんありました。アメリカでは、全てが一からなんです。高校がどこだったとか、甲子園に行ったかとかは関係ない。自分の力で何かを乗り越えられたように感じました」。
モチベーション高くプレーし続け、二度、肩を手術する大怪我を負うも、諦めずに復帰。リハビリで日本に帰る時期もあったが、それでも再び海を渡った。3年目のシーズンとなった今年は、一時打率を4割に乗せる活躍を見せ、ベストナインに選ばれた。「続けてよかったと本当に思います」。最終年となる来季は、現地の生徒でも選ばれた選手しか勝ち取ることのできない“全額奨学金”の対象にまで選ばれた。見事な成功ストーリーだ。牧田パイセンは言う。

「決して、簡単ではなかったです。ただ、これまでの苦労を考えても、こっちに来てよかったと思うだけの経験をさせてもらっています。もし、迷っている後輩がいたら、『絶対行った方がいい!』と、思います!」

 きっと、まだ先のことは考えられない選手が多いことだろう。牧田パイセンもそうだった。だが、大いに悩んで選んだ道の先には、素晴らしい経験が待っていた。『海外留学』という選択肢が、これからの君が選べる道のひとつにあることを知っておこう。その道を選んだ先には、日本では得られないビッグなものがあるはずだ。



パイセンQ&A

Q アメリカと日本の野球の違いは感じますか?
A よく、日本の野球のほうが細かいと言われたりしますけど、そんなことはないですね。僕はむしろこっちのほうが細かいと感じました。

Q 意外ですね!戸惑いましたか?
A 「結構バントもするんだな」など、ギャップはありましたが、日本でやってきたことをしっかりやるだけなので、戸惑いはなかったです。

Q 会話には最初戸惑ったとのことです
A はい。まったくわからないわけではないのですが、仲間の冗談などが理解できないのが、最初は辛かったですね。

Q ズバリ、今後の目標は?
A まずは最後のシーズンを、最高のシーズンにすることですね。そのために、自分も結果を残してチームに貢献したいと思います!



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