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【アメリカ視点で見る高校野球】U-18W杯決勝戦 日本対アメリカ

2015.9.8
 8月29日、2日目を迎えたU-18ワールドカップで日本は米国相手に危なげなく3対0と勝利した。そこから米国は3試合で4失点、日本は3試合で1失点と共に安定した投手力を誇り、勝ち進んだ。攻撃力でも相手を圧倒したのは日本の方だった。日本戦後の3試合で21得点だった米国に比べて、日本は3試合で37得点を叩き出し決勝の舞台にあがってきた。

 決勝戦、日本は前回対戦と同じく、仙台育英高校の佐藤を先発した。対する米国代表はニコラス・プラットがピッチャーで5番を務めることとなり、自らDH制を廃止した打線となった。USC大学(南カルフォリニア)に進学が内定しているプラットは予選のオーストラリア戦では8回完投で2安打1失点。打者としても2安打を放ち、攻守で貢献した。

 雨のため30分試合開始が遅れた試合の序盤で目立ったのは米国が先取点を取りに行く姿勢だった。初回、先頭マクローが四球で出塁した米国は二番のモニアクはバントを試みるがファール。そしてスイングに切り替えるも、結果的には三振に終わった。前回一点も取れなかった佐藤相手、そして決勝戦という一発勝負では米国も初回からバントを試みてきた。3回にも9番ルーサーフォードが安打で出塁すると、続く1番マクローがバントで走者を進めた。続く2番のモニアクのピッチャーゴロを佐藤がサードを悪送球して、先制点に繋げた。

 逆に日本は国際ルールに戸惑う面があるように見えた。5回1死からオコエが安打で出塁するが、牽制で挟まれアウトとなった。本人も両手を挙げ、納得行かない様子を露にし、日米でのボーク判定の違いが生み出したミスとなった。

 6 回には先頭の篠原が四球で出塁し、続く郡司がバントの構えで揺さぶりをかける。2点ビハインドの展開で結果的に三振に終わってしまった。1点ずつ取りに行く野球と1点を捨てる守備隊形に切り替えた米国代表だった。1死走者2・3塁の場面で内野は前進せずに通常の隊形で守った。迎えた2番津田への2球目を捕手が後ろにはじき、3塁ランナーの篠原が果敢にホームを狙うが、タッチアウトとなった。その後、津田のタイムリーヒットで1点を返すが、追いつくことは出来ず、前回大会と同じく準優勝で大会を終えることとなった。

 試合後のインタビューでは、米国代表のグレン・チッキー二監督は何度もアメリカのために金メダルを取れたことへの喜び、そして同じユニフォームを過去に身に纏った選手やコーチに敬意を示すなど、本当の意味でチームが1つとなっているのがコメントから伺えた。今大会MVPを獲得した先発投手のニコラス・プラットも自身のツイッターで「19人の兄弟たちと国のために金メダルを取れたのはこれ以上ない喜び」とコメントしており、国のためにという意識が刻まれている。試合中、選手たちもファインプレーや得点を奪ったときに随所で胸元のUSAの文字を意識させるジェスチャーを見せていた。

 なかなかこの世代の日本代表選手から、「日本のために」というコメントを聞く場面は少ない気がする。もちろんそれを口にすることが強さに直結するわけではないが、米国代表には目に見えない「国のために」という言葉に凝縮された秘めたパワーがあるように感じた。

 長期的な選考会を経て、台湾遠征、そして日本での大会を経て、米国代表として戦う意識が植え付けられたチームのように感じた。それに比べて甲子園大会直後に作り上げられた即席である日本代表チーム。

 これから大学進学かプロ入りかそれぞれが決断に迫られるが、いち早く日本を飛び出し米国の大学に進学するという決断をする選手が今後現れることを期待したいと思う。海外に出ると、自然と母国を意識するようになる。世界を相手に戦ったことで自らが外へ出て、違う環境で成長を遂げた選手が再び、日本代表のユニフォームを身に纏って戦う姿をいつかは見てみたい。


<著者プロフィール>
新川 諒(しんかわ りょう)
幼少時代を米国西海岸で10年過ごし、日本の中高を経て、大学から単身で渡米。オハイオ州クリーブランド付近にあるBaldwin-Wallace Universityでスポーツマネージメントを専攻。大学在学中からメジャーリーグ球団でのインターンを経験し、その後日本人選手通訳も担当。4球団で合計7年間、メジャーリーグの世界に身を置く。2015年は拠点を日本に移し、フリーランスで翻訳家、フリーライターとして活動中。


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