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【至学館】恵まれない練習環境で躍進を続ける東海王者

2017.6.30

守備練習に取り組む至学館の選手達

今、愛知県で最も注目を集める高校が至学館だ。昨年秋の公式戦で、中京大中京など「私学4強」をすべてサヨナラ勝ちで下し、今年春のセンバツ甲子園で善戦。さらに春季県大会を制し、東海大会でも優勝した。創部は2005年と若く、練習環境には大きな制限があるが、躍進を続ける至学館に迫った。

◆目 次◆

校舎脇のテニスコートほどの広さの「練習場」

「高校野球の原点」


グラウンドがなくとも練習を工夫、意識を明確化

校舎脇のテニスコートほどの広さの「練習場」

チームのモットーは「思考破壊」だ。高崎健大高崎高(群馬)の「機動破壊」になぞらえ、機動力を生かした積極野球で常識外の攻撃を繰り出す。象徴的なシーンが今春センバツ初戦で見せた1回裏の攻撃だ。一死三塁から3番・鎌倉裕人(3年)の投手ゴロの間に三塁走者・定塚智輝(3年)が生還した。「作戦は『振り出しゴー』。打者がスイングを始めたら三塁走者はスタートを切り、打者は打球を転がす。エンドランとも違う」(麻王義之監督)。投手がゴロを捕球した時には、見事なスタートを切った定塚が本塁を駆け抜けていた。

練習環境には恵まれない。至学館には野球部のグラウンドがない。校舎の脇にあるテニスコートほどのスペースが陣地だ。ブルペンと、3人が打ち込む通称「鳥かご」のバッティングケージがあるのみ。週1度ほど、他の運動部が活動を終えてから校庭を使うが、地面には陸上部のポイントが所々打ち込まれている。公営の球場や至学館大学のグラウンドを借りられる日も限られている。創部6年目の2011年夏に初めて甲子園に出たが、昔も今も変わらない。

校舎の脇にあるテニスコートほどのスペースで練習する選手達

境遇が十分ではない中で、練習には工夫を凝らす。詳しくは後篇で紹介するが、綱渡り(スラックライン)でバランス感覚を鍛えたり、ビジョントレーニングを導入したり。ティー打撃では、長短2種類のバットでバドミントンのシャトルを打つ。練習や試合前には定期的に座禅を組み、心を整える。

練習での意識も明確だ。「鳥かごでの打撃練習も、漠然としたものではない。単に打って『いい打球が飛んだな』というようなことはない」と麻王監督は言う。走者やカウントなど試合の局面を常に想定。テーマに応じた打撃を求める。「“制約”をつけた中で、つまらない練習をきちっとやりこなすことが大事」と指揮官は説く。走塁や守備も、空いた時間や機会を見つけて、短時間でも集中力を発揮して身につける。

局面や方針に応じた打撃練習で対応力を磨いている選手達

こうした積み重ねが、本番での勝負強さをもたらし得点につながる。日々の打撃練習や練習試合で、局面や方針に応じた“制約”のもとで対応力を磨いているから、打線として戦略を遂行できる。「1試合を3イニングずつに区切り、それぞれを『慣れ、対策、実行』と位置づけて後半勝負をしたり。ほかにも、打者9人のうち半分は2ストライクまで全部変化球狙いで、残りの打者は逆にストレートを狙わせたり。役割を決めながら戦っていく」(麻王監督)。

勝てる根拠がある。「僕と選手たちの間で、考えていることが近い。選手も先読みができる」(麻王監督)。策士と言われる麻王監督のもと、サインは100種類以上に及ぶという。だがロボット的ではなく、作戦を遂行する監督と選手、さらに選手同士の間で、信頼関係がある。だから攻撃がかみ合う。

「高校野球の原点」

部員数は3学年で毎年100人規模だが、誰にでもチャンスはある。現在、主に先発を務める左腕・川口龍一(3年)は、ワンポイントリリーフから成り上がった。「入部前から、至学館は代走や守備固めなどでもメンバーに入るチャンスがあると聞いていた。自分は左バッターを抑えるワンポイントの立場でベンチに入りたいと考えた」(川口)。川口は中学時代に目立つ投手ではなかったが、クロスに踏み込んでサイドスローから放られる球は打ちづらく、それを武器に高校で活路を見出した。

部にスター選手は不在。中学時代に強豪校から声をかけられるような選手はいないという。ほとんど全ての部員が愛知県出身だ。センバツで二塁を守った藤原大介(3年)は三重県出身だが、「もともと僕は勧誘しない。なぜか知らないが彼が自分からきた」と麻王監督は笑う。限られた環境でコツコツ鍛錬を重ね、野球を理解し、チームで試合を支配する楽しさを選手が知っている。「高校野球の原点では」と麻王監督は感じている。(取材・写真:尾関雄一朗)

監督プロフィール

至学館をこの春の東海チャンピ員に導いた麻王義之監督

麻王義之(あさお・よしゆき)
監督/1963年生まれ、石川県出身。現役時代は外野手で中京高(現・中京大中京)〜中京大。大学卒業後は弥富高(現・愛知黎明)コーチや明秀学園日立高(茨城)監督などを経て、2005年、至学館高の男女共学化とともに同校監督に就任。11年夏、16年春に甲子園出場。体育科教諭。

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