企画

連載野球小説 『天才の証明』 #38

2016.12.13

〜第38回〜

 火野周平の打者としての復活劇は、いかにも美しく感動的なものであった。
 試合内容が素晴らしかったわけではない。本拠地に埼玉ベアーズを迎えた試合は1対7と惨敗した。打撃の内容自体も平凡であった。二ヶ月近くのブランクがあった影響からか、コンタクトの巧みな火野にしては珍しく三打席連続の三振を喫し、勝負の決まった八回に意地のヒットを放ったのがせめてものハイライトであった。
お世辞にも、一面を飾るような鮮烈な活躍ではなかった。

 真に美しいと感じたのは稲嶺外野手の試合後の会見である。

この会見の映像は繰り返し何度もスポーツニュースに映っていたので、都合三度も目にすることとなった。会見の内容は夢にも出てきた。夢に見ただけでは足りなかったのか、早朝、歯を磨きながら会見の様子を頭が何度も再生していた。

「プロ入り以来、41番という重たい番号を背負ってきましたが、自分の年齢が背番号を超えるまでプロの世界でやってこられるとは夢にも思いませんでした」

 41番を背負った北海道ガンナーズの稲嶺は、謙虚な口調でそんな言葉を口にした。
2004年のオフに神宮パンサーズから移籍してきた稲嶺は、瞬く間に北の大地で主役となった。得点圏で登場すると私設応援団によるファンファーレが高なり、スタンドのファンは応援歌に合わせて飛び跳ねた。通称、稲嶺ジャンプ。
ファンが応援歌を歌いながら一斉に飛び跳ねる姿はガンナーズの風物詩となった。
2011年に肩を痛めた影響で一塁手登録となり、近年はDHや代打としての起用が多くなっていた。

「稲嶺ジャンプは継承されるのでしょうか」

 記者からの質問に、稲嶺は短く答えた

「個人的な希望としては、周平に継いでもらいたいと考えます」

 その答えを聞いた報道陣には、事実はともかくとして、ドーピング渦にまみれた火野周平への禅譲を手放しで認めることはできない、とでも言うような微妙な空気が漂っていた。

はたして禅譲を美談として仕立てるべきか。あるいは時期尚早と断罪すべきか。
火野周平は品行方正で知られるベテランを継ぐ器でないのではないか。次の質問がなされるまでの空白の意味を察したのか、神妙な面持ちで稲嶺が口を開いた。
「周平にはいろいろな話題があるようですが、噂や憶測ではなく、グラウンド上での立ち居振る舞いと結果で判断して頂きたいと思います」
言葉ではなく、行動で示してきた男の言葉は重く響いた。
プロであるならば背中で語るべきである。結果を出せ。行動で示せ。
それをどう報道するも自由だが、あらぬ噂や憶測で貶めることだけは俺が許さん。そう言っているようにも聞こえた。
「周平は今回野手で復帰しましたが、このまま野手一本で行くのか、投手としても復帰を果たすのかは現状まだ分からない状態です。彼はメジャーリーグ志向も強いので球団には長くはいないかもしれませんが、私と同じように温かい目で見守って頂ければ幸いです」

 去りゆく侍の言葉に沈黙を持って答えるかのように会見場はしばらくの間、静かなままであった。
一時代を築いた英雄は次世代へ刀を手渡し、静かに表舞台から姿を消そうとしている。
去り際の美学。緋ノ宮学園の野球部員たちにも会見映像をコピーして配ろうと思うほど、いかにも美しく感動的な会見であった。お陰で八時三十分の朝礼の時間にわずかに遅刻して、小峰先生から白い目を向けられたことはまた別の話である。

(著者:神原月人)

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