企画

連載野球小説 『天才の証明』 #37

2016.11.25

〜第37回〜

山口はリモコンを操作し、テレビを消した。室内に静寂が訪れる。
山口の頭の中には、番組の初めの方でなされた芝野教授の質問がこびりついていた。
「ドーピングで金メダルが保証されるなら、五年以内に死んでも構わないか」

 なんとえげつない質問だろうか。
一般人の凡庸な価値観からすれば、首を縦に振ること自体、理解しがたい範疇にある質問であろう。短命と引き換えに競技能力の向上を願う。そんな選択を迫られる人間が世の中にどれ程いるだろうか。完全に想像の埒外の出来事だ。
だが、五輪の表彰台を目指すようなアスリートであれば、首を横に振ることは難しいだろうなとも思う。

別に、自分もアスリートの気分が分かる特別な人間なのだと言いたいわけではない。
むしろ逆だ。才能など何もない、いたって凡庸なる人間の一人だ。
才能とは、黙っていても勝手に光り輝くものだ。
誰が見ても一目で「こいつは違う」と確信するような何かが備わっているような人間をして才能に恵まれる、と言うのだ。

それが先天的なものか、長年の訓練によるものかは、さほど問題ではない。
こいつには才能がある。無限の将来がある。
十八歳の時にも、二十二歳の時にも、自分をそう評してくれる人間はいなかった。
だからこそ、自分は才能のひしめき合う高みには到達できなかったのだ。
もしも遺伝子操作によって閉じた可能性をこじ開けられるのであれば。たとえ、その選択にいくばくかのリスクが潜んでいたとしても、きっぱりと固辞できないだろう。

 甲子園の頂点を味わった七年前のあの気分をまた味わえるのだとしたら、たとえ五年後に死を迎えたとしても、その未来をすんなり選んでしまうかもしれない。
金や記録なんてものには興味がない。いや、あえて興味を持とうとしなかったという方が正確であろうか。とにかく、そんなことより何より、世良の球をもう一度受けたい。
叶うならプロの世界で。それさえ叶うのであれば、いつ死んだって構わない。
十八歳か二十二歳の頃に問われたら、きっとそう答えるに違いない。
才能とともに早逝するか、凡庸さとともに生き長らえるか。
才能に恵まれる一握りの人間だけでなく、才能に焦がれる人間もまた同じ結論に辿りつくという一点においては、どちらも救いがたい生き物なのであろうと思う。
山口は仄暗い部屋でひとり、漠然とそんなことを考えた。

オールスターが明け、ペナントレース後半戦が再開した。
職員会議帰りの山口の携帯には、神戸バイキングスとの三連戦三試合目に復帰登板を果たした世良からのメールが届いていた。
受信時刻を確認すると、二十二時過ぎに送られたものらしかった。
「やっと一つ勝てました」

 わずかに十文字。
相も変わらず素っ気ない文面であったが、飾り気のない言葉に安堵と喜びが滲んでいるようだった。山口はパソコンを開き、世良の投球内容を確認する。

 どうやら八十六球での完封劇だったようだ。
捕手はこれまでの白鳥ではなく、ベテランの笠松に代わっていた。
「おめでとう。火野の分まで頑張れよ」

 山口は、世良のメールに手早く返信した。

 何気なしにテレビをつけると、ちょうどスポーツニュースがやっていた。ガンナーズ対バイキングスのハイライトが映る。一分にも満たないダイジェスト映像であったが、ファームから上がってきた世良は、前半戦の姿とはもはや別人に見えた。

 イップスに罹って思うように投げられない火野周平の鬱憤まで晴らすかのような投げっぷりだった。

 山口が携帯電話をテーブルの上に置くと、携帯が振動した。
メールをチェックすると世良からの返信であった。珍しくも即レスだった。
「当面、火野は打者として復帰するみたい。八月半ばには復帰予定らしいです」

 世良からの補足メールを読み終えた山口は、パ・リーグ前半戦を終えての順位を確認した。神戸バイキングスが僅差で首位、二位が福岡シーホークス、ほぼ五割で折り返したガンナーズは三位につけていた。
東北ファルコンズは田仲将雄の抜けた穴が埋まらず、最下位に沈んでいる。 
 
一位 神戸バイキングス 49勝34敗0分
二位 福岡シーホークス 47勝33敗4分 0.5差
三位 北海道ガンナーズ 42勝40敗1分 6差
四位 千葉ドルフィンズ 37勝45敗2分 5差
五位 埼玉ベアーズ   36勝45敗0分 0.5差
六位 東北ファルコンズ 35勝48敗0分 2差

北海道ガンナーズはリーグ優勝となると少々厳しいが、シーズン上位三球団によるクライマックスシリーズには進出できる位置にいる。

クライマックスシリーズは2007年にセ・パ両リーグに導入されたプレーオフ制度である。まず、レギュラーシーズン三位チームと二位チームがファーストステージとして三試合を戦い、先に二勝したチームがファイナルステージへと進む。ファイナルステージでは一位チームに一勝のアドバンテージが与えられた上で六試合を行い、先に四勝したチームが日本シリーズへと進出する、という仕組みだ。

シーズン二位、三位チームにも日本シリーズ進出の可能性があり、後半戦の順位争いを盛り上げる要因となってはいるが、レギュラーシーズンの優勝チームが日本シリーズに出場できないケースが生じること、勝率五割未満でも日本一になる可能性があることなどを理由に、現行制度を非難する向きも少なくはない。

だが、故障者続出で半ば野戦病院化しているガンナーズからすればありがたい制度であるだろう。当面の目標として「ひとまず三位に滑り込めばいい」となるからだ。
世良のメールに「ちなみに給料泥棒のオルティスはいつ戻るんだ?」とリターンしたところ、「分かんない。周平と同じ時期ぐらいじゃないかな。今、ホームシックで帰郷してるらしいし」とのことだった。

あんだけデカい図体してホームシックとか、どんだけお茶目かビッグ・パピー。
にしても八月戦線は、栗原監督は大変だろうな。
右肩を壊してここ最近DH出場が続いている正捕手白鳥がいて、DH専任のオルティスが故郷から帰ってきた上に、まともに投げられない火野周平まで復帰予定と。
DH枠どう使うんだろうか。他人事であれば笑い話だが、台所事情を預かる監督としては頭の痛い日々が続くんだろうな。いやはや、ご愁傷さまである。
監督業は寿命が縮まるって、きっと真実なんだろうな。

(著者:神原月人)

バックナンバーはこちら

電子書籍での購入はこちら